中心にあったもの

❖聖書箇所 使徒の働き14章19節~節           ❖説教者 川口 昌英 牧師

◆(序)この箇所について

 第一回伝道旅行最後のこのところには興味深いことが溢れています。まず福音に強く反発したユダヤ人たちの姿です。彼らは実に執拗です。リステラとピシディアのアンティオキアは、金沢から能登半島の先端ぐらいまで離れているのですが、ユダヤ人たちは、そこからわざわざやってきて、群衆に働きかけ、自分たちの味方とし、パウロをとらえ、石打ちにしたというのです。これはローマの法では認められない私刑にほかならないのですが、自分たちの民族の問題とか言って正当化し、行ったものと思われます。彼らは、当局から反対に自分たちが犯罪人とされるかも知れないのですが、なりふり構わず、主イエスの福音を伝える者を殺そうとしたのです。

 続いて、このところで注目すべき二番目のことは、パウロの態度です。石で打たれ、死んだと思われ、町の外に引きずり出され、捨てられるという大変な仕打ちを受けても活動を止めることなく、再び町に入り、さらに翌日デルベという町に行き、その町でバルナバとともに福音を語り、多くの者たちを主の弟子としたことです。さらについこの間、自分たちが激しい迫害を受けた町々に行き、クリスチャンになった者たちを励まし、また、教会ごとに長老たち、現代的に言うならば牧師を選び、教会の歩みを基礎付けていることです。普通の感覚であるなら、命の危険を経験したのです。一刻も早く、危険がある地から逃げだしたいと思うのです。ところが、パウロ、またバルナバもそうですが、再びユダヤ人たちから痛めつけられることを恐れず、信じたばかりのクリスチャン、生まれたばかりの教会を訪れ、みことばをもって力づけ、これからのために必要なアドバイスをしているのです。

 

 三番目のことは使徒たちが、伝道旅行を終えて自分たちを送り出したアンティオキア、これは、ユダヤのアンティオキアのことですが、そこに帰り、自分たちが経験したことをありのまま報告していることです。そうすることによって、福音宣教は個人の働きではなく、祈りによって送り出された教会の働き、主の働きとしていることです。自分たちの働きは教会のわざ、祈りによってなされるものであることを明らかにしていることです。

◆(本論)パウロとバルナバの勇気と主を優先する知恵

①このように大きく三つのことが言われているこの箇所ですが、使徒の働きの著者であるルカが最も伝えようとしていることは、パウロとバルナバの何としてでも福音を伝えようとする態度です。 世界を創造し、治めている神が、人の救いのために大きな意味を持つ異邦人宣教の道を開いてくださったと信じ、どれだけユダヤ人から妨害されても、彼らを恐れず、異邦人に福音を届けるために前進をやめなかった姿です。実際に石で打たれ、死んだと思われる状態になっても、回復したらすぐさま行動した彼らの姿勢です。そして信じた者たち、教会のために長老たち、今日で言うならば牧師を選び、主に委ね、これからのことも配慮していることです。そういった一連の行動は、ルカは記していませんが、私は、おそらく近くにいた多くの人々に衝撃を与えたものと思われます。人間的な感情から言うならば、パウロとバルナバの態度は到底理解できないものでした。あんなに攻撃され、実際に殺されそうになりながらも恐れず、福音を語り続け、最後まで冷静に行動するとはなんと言う人たちだろうという印象を抱かせたものと思われます。

 このようにパウロとバルナバは、反対する者たちを恐れず、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない。」(22節)と言い、主イエスの福音をのべ伝えるために、前進することをやめなかったのです。先にエルサレムの議会から使徒たちがイエスの名によって福音、神の国の実現を語ってはならないと命じられた時に「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4章12節)とはっきり拒み、自分たちは福音を語り続けるといったことを思い起こします。

②なぜ、パウロを始め、使徒たちは力ある者たちから、間違ったことを人々に教えていると非難されたり、実際に命を奪われそうになりながらも、私たちはこの福音に立ち続ける、救い主イエスをのべ伝えることをやめることができないと言うことができたのでしょうか。

 私は、このことは日本の教会の大きな問題と思っています。というのは、少数の例外はありますが、江戸時代の終わり、明治の初めにプロテスタント教会の宣教が開始されて以来、日本の教会は、キリストの教会というよりも強いものに影響される教会という性質を持っていたからです。もちろん、普段はそうではない訳ですが、厳しい状態に置かれたとき、例えば15年戦争に向かって、国全体が天皇を中心とする体制によって、国民全体を強く統制し、キリスト教会をもそれに従わさせようとした時に、キリスト教会の指導部はそういった体制に従っていったのです。それについては教会を守るためであったとか、一切の異論を許さない全体主義体制のもとではやむをえなかったと言われることが多いのですが、世界の教会の歴史を見ると、どんなに国の体制が聖書信仰に立つ教会を迫害弾圧しても、私たちはこの福音に立つと告白し、激しい弾圧を受けた人々がいるのです。戦前のドイツの教会においても、また戦前日本統治下の韓国の教会においても実際にいたし、また今も尚、キリスト教が公認されていない国々においているのです。

 それについて、戦前のドイツ教会闘争について学び、日本の教会の問題点として考えてきた牧師は、日本の教会の場合、真の主の弟子が少ないからではないかと言っています。弟子とは師の目指すものを自分も実現するように現実に行う者です。しかし、日本の多くのクリスチャンは主イエスの真の弟子になっていない、主から恵みをいただくが、厳しい立場になると主に従う道を歩まないというのです。大事な時に主に従うよりも自分を守る道を選ぶというのです。

 私はこの指摘は、この国に生きるクリスチャンの信仰生活がなぜ曖昧なものになりがちなのか、なぜ信仰から離れる人が多いのかという現状を考えるうえにおいて重要な指摘だと思います。主を信じると告白しても真の主の弟子とはなっていない、主の十字架の死と復活がどれだけ自分の人生において深くて大きな意味を持っているのか、また社会全体にとってどれだけ重要であるか、徹底的に向き合っていないのです。主の十字架の死と復活を表面的に、ただ自分の内面を変えてくださるものと捉えているのです。それが人間社会を根底から変える力を持っているとは思っていないのです。ですから、信仰告白していても信仰生活の中心は主ではなく、自分自身なのです。確かにこの国に生きるクリスチャンをとりまく厳しい環境もあります。しかし、日本の教会の真の問題は日本のクリスチャンの信仰の問題なのです。

◆(終わりに)真の弟子の中心にあるもの

 世の体制に流されやすいそんな者たちに対し、初代教会の使徒たち、パウロたちはそうではありませんでした。これまで救いの恵みからはずれていた異邦人が救われるという途方もない大きな状況が開かれていくという状況の中で、自分たちに使命が与えられ、必要とされているという自覚をもって、どんなに痛めつけられても、命が奪われることになっても福音を語ることをやめず、そして各地ごとに長老、牧師を選任し、今後に向けて備えをしたのです。

 

 そんな宣教の思いについて、パウロは第一コリント9章19節~23節ではこう言っています。(朗読) 「すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。」そして、このような主の真の弟子としての生き方の中心にあるのが、神の義の豊かさについての理解でした。御子であるイエス様を通して与えられた神の義は、ただ個人の人生、過去、現在、将来を変えてくださるだけでなく、全世界の人々の人生を変えてくださる、そして罪に支配されている人間社会を根底から変えてくださる大きな力であることを確信していたからです。さらに、そんな思いの中心にあったのは、こんな者を愛し、罪を赦してくださり、神のもとに迎えてくださり、神の子としてくださっているという主の恵みに対する深い感謝の思いでした。それゆえ、私たちはこの福音に生きると堅く立つことができたのです。私たちもこの使徒たちの態度を心に留めたいものです。