基礎を築いた人物

❖聖書の個所  ピリピ3章1節~16節        ❖説教題 「基礎を築いた人物」

❖中心聖句 「私にとっては、生きることは、キリスト、死ぬことも益です。」

                        ピリピ人への手紙1章21節

❖説教の構成

◆(序)何故、パウロを取りあげるのか

 初代教会の中心人物であり、多くの書簡の著者であるパウロについて知ることは、クリスチャンの信仰や信仰生活を考えるうえにおいて非常に有益である。なぜなら、パウロほど劇的に回心した人物はいないし、またパウロほど明確なクリスチャン生活、主のしもべとしての生活を送った人物はいないからである。

 

◆(本論)パウロの全体像

①主を受け入れる前のパウロ

ⓐ出身、受けて来た教育…先程、読んだところにパウロの背景がはっきり言われている。((4節~6節)  選民イスラエルの民としてこれ以上ないほどの恵まれた状況にいた。そして、ガラテヤ書1章14節において「また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。」というごとく、当時のユダヤ最高の教師であるガマリエルから厳格な教育を受けた俊秀であり、そしてその中でも非常に優れた学徒であり、又実践者であった。

 また彼は個人の経歴が際立っていただけでなく、生まれながらローマ市民権を持つ社会的に恵まれている者であった。(使徒の働き22章25節) 取り調べの時に守られ、裁判の結果に不服な場合には皇帝へ上訴できるなど、特別な保護が与えられていたローマ市民権を外国人が取得することは、後の時代になるほど容易になるが、パウロの時代は外国人がローマ市民権を持つことはごくまれであり、まして生まれながらそれを持っているということは特別なことだった。パウロの先祖がローマのために貢献したことによって、その家系に市民権が与えられたものと思われる。普通のユダヤ人が持たない特権の持ち主であった。

 

 こんな出身、経歴から伝わって来るのは、選びの民として非常に強い意識を持ち、実際にその道を忠実に歩もうとした、また社会の中でも有力な立場を持つ者であったということである。

ⓑ活動(特に教会に対して)

  こういったことから分かるように、パウロは神の民として義を熱心に追求する者であった。その神の義を追い求めて行くに際し、中心となったのは律法であり、律法に関する学びであり、実践であった。パウロは、律法やその解釈、その他昔からの言い伝えなど、古来からユダヤ人社会の中で蓄積された膨大なものを他の秀才と共に深く広く学ぶとともに、又パリサイ派(分離するという言葉、ファリサイを語源とする世俗から離れて、神の律法によって生きていこうとするグループ)として熱心に実践し、神の義を得ようとした人物であった。

 そんなパウロから見るならば、律法を学んでもいず、守ろうともしない、ただ人となったキリストの十字架の死と復活を信ずるだけで救われる、神の義を得ることができるという教えは決して認めることができないものであった。自分たちにとって大切な神を汚す者たちだと思った。                          

 そのため、彼は神に仕えるという純粋な信仰的確信に立って、誕生したばかりの教会を襲い、破壊し、クリスチャンを捕らえたのだった。(使徒の働き8章1節~3節)このことについては、パウロ自身が後に何度も告白している。(使徒の働き22章4節、26章9節~11節、第一テモテ1章13節) 

 

②内心の格闘

 こうして育ち、学んで来た教えに基づいて間違った教え、神を汚していると思った福音を信ずる教会、クリスチャンたちを先頭に立って迫害したが、いつも言うように、実はパウロ自身の心の中は、複雑であった。どうしても神の義を得ることができず苦しんでいた。神の義を得ようと律法に取り組めば取り組むほど、それを行うことが出来ない、或いは自分の中にある罪を自分でどうすることができないことを深く感じていた。そして、そんな自分とは対照的に、迫害され、命を奪われそうになりながら、平安と希望に満たされているクリスチャンたち、(例えば、パウロ自身がその場にいたステパノの殉教死等) 何が正しいのだろうか。本当に自分たちが教えられ、取り組んで来たことは正しいのだろうか、パウロは苦悶した。こんなバウロの姿は、もちろん、かなり違うが、私たちにも分かるのではないだろうか。

 

③大きな転換、信仰の確信

 そんなパウロに大きな転機が訪れた。主イエスご自身が復活した姿をもって特別に顕われ、自身が受けた十字架の死と復活は、人を罪より救い、神の義を与えるためであったと明らかにした。(使徒の働き9章) 主が復活の姿をもって特別に現れ、直接語りかけられ、それまで間違った、神を汚す教えだと思い、神に仕える思いで必死に迫害していた人々が信じていることこそ神の御心だったと知らされたのである。必死に律法を学び、行うことによって神に仕えると硬く信じて来たパウロにとって大変な衝撃であった。

 ものごとを考えず、周りに合わせて、行動し、評判ばかり気にしていた人物であるならば失望し、そのままいっさい表舞台から退いたであろう。しかし、パウロにとって、人が自分をどう見るかはどうでも良かった。彼は主から十字架の意味を示された時、ここに自分の求めていた、長年苦しんでいたことに対する答えがあると確信した。心から神の義を求めていたパウロは、深い確信が与えられるや、驚くべきことにすぐに主の福音を宣べ伝えた。(使徒の働き9章20節~22節) パウロの手による書簡であるピリピ3章8節、ローマ1章16節、17節等にその強い思いが表れている。

 

④その後の生き方

 その後のパウロの生き方、活動は、使徒の働きを始め、彼自身が著した数多くの書簡から明らかである。福音のために、一人でも多くの人が救われるために、全てを捧げている。そのゆえに、最後の手紙、恐らく処刑される一年ほど前と思われるテモテ第二の手紙の中で、生涯を振り返り、走るべき道のりを走り終えたと告白することができたのである。(第二テモテ4章6節~8節)

 

◆(終わりに)

 パウロは、物心がついた時から、真剣に神の義を求めた悩める者であり、主を知った後は、決して奪われることがない確信が与えられ、本当に変えられた人物である。(第二コリント5章17節) 

 そんな姿は、私たちにも訴えてくるものが多い。確かに活動や足跡を見ると、偉大すぎて違いすぎるという印象があるが、心の動きそのものはすべての人の心にもある、人生の真理を知りたい、そしてそのために生きて行きたいという思いである。

 こんなパウロの生き方、生涯からあらためて何を教えられるのだろうか。福音のすばらしさである。福音、主の十字架の死と復活こそ人の真の希望であり、力だということである。

 

 パウロは、終わりにこう言っている。「今からは義の栄冠が私を待っています。」多くの人が恐れる死を感じながらのことばである。死をどのように見るかは一人ひとりの人生に対する思いそのものである。死に対してこのようにはっきり希望を告白できることは、その生涯に対する深い肯定を表している。パウロの人生においてそれを可能にしたのは、主の福音であった。その同じ福音が私たちにも与えられている。この宝を宿す者として、新しい力をいただきながら歩もう。