王の力、神のことば

❖聖書箇所 使徒の働き12章20節~25節      ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句   「人はみな草のようで、その栄えは、草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」  第一ペテロ1章24節、25節

◆(序)この箇所について

 

 この箇所を見ると、この時のイスラエルの国の雰囲気がよく分かる。近代国家において行われている、国の根幹を定める憲法を持ち、その憲法に基づいて成立した法律によって国の運営がなされる立憲主義、法治主義ではなかった。国民を守ることが根底にある立憲主義、法治主義ではなく、古代の国に多かった、時の王、権力者の思いや目指すところによって、国家が運営されていた。確かに議会があり、またイスラエルを属領としていた宗主国であるローマ帝国の総督がいて、王の思いのままではなかったが、それでもヘロデ王は圧倒的な権力を持っていた。それゆえ、民衆の側も王を恐れ、出来る着る限り王の機嫌を損じないようにしたのである。

◆(本論)王と国家

①古代や中世の中国、朝鮮、日本などに比べれば、イスラエルでは、上記のように、議会があり、また宗主国であるローマ総督がいたことから、王の力は無限のものでなかったが、現実においては王の力は絶大であった。 

 ここに出ているヘロデ王、ヘロデ・アグリッパ1世については前回話したが、彼は、特にローマ皇帝の支援を受け、支配する領土を拡大した王である。その時、話したように、ヘロデはイスラエルの中に強い基盤を持っていなかったが、当時のローマ皇帝の後ろ盾があることは、万全の権力基盤を持っていたことを現している。そのため、ヘロデ王から憎まれることは、命と生活が脅かされることであった。それゆえ、関係がよくなかった地方の人々はもちろん、そうでない人々も彼を恐れ、崇めたのだった。

②イスラエルが普通の国であったなら、王が絶大な権力を振るい、民衆が王を恐れて、神だと崇めても、ここに出ているような厳しい裁きを受けることはなかったかも知れない。しかし、イスラエルは特別な国であった。イスラエルは、紀元前約2000年、国の父祖であるアブラハムに対して約束されたように、全世界に神の祝福を伝える、神に選ばれた、宝の民、聖なる国民、祭司の王国であった。(創世記12章、出エジプト記19章) そんな特別の国であったから、国の統治に関しても、神のことばに従う預言者や祭司たちによって国が治められるとされていた。  

   しかし、民たちは、紀元前の約1000年頃より、近隣諸国と同じように王を求めた。その願いは、神の御心に反するものであったが、聞き入れられ、周りの国々と同じように王が治める国になった。その時の状況が第一サムエル記8章に詳しく記されている。その際、王は国民に対して、安全や繁栄をもたらすだけでなく、国民に対して多くの要求をする存在であることが明らかにされている。

 そのような経過を経て、初代の王としてサウルが選ばれ、預言者であり、士師であるサムエルによって油注がれ、王座についた。

 その時以来、イスラエルには王が立てられ、その後、分裂した後の北王国イスラエル、南王国ユダの時代も、また北王国イスラエルが滅亡し、南王国ユダが残った後も、ギリシャなどの外国によって占領された中間時代を除き、イスラエルにおいてはたえず王が存在していた。そして、本日見ている、この出来事があったこの時代も、繰り返すようにローマに支配されていたが、ローマの支援を受け、ヘロデ王朝の者たちが王の座についていた。

 このように、実際は、ローマの属領という変則的なかたちであったが、それでも現実生活においては王の権限は大きかった。王がいかに自由にふるまったかは、別の王であるが、バプテスマのヨハネの死を思い浮かべれば良くわかる。宴会の座興に、イスラエルにとっては大事な国の

良心、自分たちのアイデンティを強く訴えていたバプテスマのヨハネのいのちを奪うことを許したことである。(マルコ6章)王が国の基準であったのである。ちなみにこの時の王は、ヘロデ王朝は、実に複雑な家系であったが、ヘロデ大王の息子の一人、アンティパスである。アグリッパ1世の叔父である。また、その父、ヘロデ大王は、主の誕生の時に大勢の男の子を殺害した。

 そのような歴史があったから、本日の箇所においても、人々は、ヘロデ王を恐れ、神のように崇めた。しかし、国民を手なずけても、イスラエルにおいては、やはり中心は神であった。目的から逸脱したサウルが退けられたように、(第一サムエル記15章17節~23節)、絶対的なヘロデも想像を超えた出来事により、厳しく退けられた。(23節) 

 この箇所は、イスラエルにおいては、王は、神を敬い、国民に安全と安心をもたらし、国民の生活を守るために立てられている存在であることを示している。決して、最高権力の座についても何事でもなしうる、自らは法律の外にいる存在ではなく、立てられている目的にかなうように役割を果たさなければならない存在であることを現している。ヘロデは、その枠からはずれてしまった。それゆえ、小さな虫によって命が奪われたのである。

③そんな権力、栄華を誇った人間の最後に対して、24節では「神のことばはますます盛んになり、広まって行った。」と記す。

 一人の人を紹介したい。この頃、上の立場にある者の理不尽な命令に対してどうすべきかということが話題になっているが、山形県に基督教独立学園という全寮制の高校がある。学科だけでなく、共同生活や共同作業などを通して全人的に成長することを目指している学校である。この学園は、1924年、内村鑑三がまだ福音が伝えられていない場所として選び、弟子たちを送った地において、1932年、大学助手の立場を捨てた弟子の一人によって設立された。その設立当初から支援した来た地元の者に渡部弥一郎という人物がいた。創設者である鈴木も渡部も、聖書信仰によって反戦言論を唱えていたが、1944年、治安維持法によって逮捕された。

 その弥一郎に良三という息子がおり、召集され、入隊し、中国に送られた。その中国において、良三は、新兵訓練の一環として捕虜を銃剣で殺すことを命じられた。しかし、すでに信仰者であった良三は、ただ一人、拒み、激しいリンチを受けた。良三は短歌を作る、歌詠み人であった。その時の状況を歌に詠み、帰国時にはそれらを書いた紙を衣類に縫い込み、持ち帰った。今、それが「小さな抵抗」という題で岩波現代文庫から出版されている。二つ紹介したい。「驚きも侮りもありて戦友(とも)らの目われに集まる殺し拒めば」「縛らるる捕虜も殺せぬ意気地なし国賊なりとつばをあびさる」良三は人間の狂気が猛威を振るう中、彼は上官の命令を拒み、ことばに表せないほどの激しい侮辱、激しい痛めつけを受けた。

 神のことばはますます盛んになり、広まっていったことと関連して、この渡部良三のことを話したのは、人生の真理、また真の幸いは、多数決ではない、少数派であり、厳しい道であったが、殴られ、蹴られても主に従ったこと、そして、その生き方は後の者たちに無限の影響を与えていることを言いたいからである。どれだけ力を誇り、繁栄を誇ったとしても、理不尽なことは滅び、神の前にさばきを受ける。しかし、主に従う者は豊かな種まく人になっているからである。

 

◆(終わりに)神のことばにはいのちがある。

 

 みことばに「人はみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」(第一ペテロ1章24節、25節)とある。人は権力を誇り、その繁栄は不滅のように見える。そんな状況の中では、神のことばは少しの力を持っていないように見える。しかし、本当に残るのは神のことばであり、神のことばを素朴に信じ、生涯を委ねている人である。不思議である。独立学園は、山の中の小さな学校である。しかし、今も全国から生徒たちが来て成長の場となっている。世に流されず、中心に神のことばがあるからである。