本当に大切なこと

❖聖書箇所 ルカの福音書10章38~42節、18章18節~23節   ❖説教者  川口 昌英 牧師 

❖中心聖句 主は答えて言われた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤは、その良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」 ルカ10章41節~42節

 

◆(序)注目すべき主のことば

 

 お気づきのように、両方の個所において「一つだけ」ということが重要なものとして言われています。伝道礼拝である今週は、この「一つだけ」と言われているものが、どんなに悪天候でも船をしっかり繫ぎ止める錨のように、「私たちの人生を守るものであることをともに覚えたいと願っています。それについて、星野富弘さんは「その一つから花が咲き、その一つから葉が出る。一つに全てが含まれ、一つに全てが現される。それがなくなったら、私もなくなってしまうような、ただ一つがある。」と言っています。

◆(本論)人生を分けるもの

①後先になりますが、まず18章に出てくる人物から見て参ります。ルカだけでなく、マタイ、マルコの福音書にも同じ出来事が記されています。それらを総合すると、ここに出ている、主イエスに永遠のいのち(神から義とされること) について尋ねた人は、非常に恵まれていた人物です。若く、そして当時、社会的に高い地位を持つ役人であり、多くの財産を持つ者でした。又、主との会話から分かりますように厳格な律法教育を受け、幼い頃より律法を守ることと取り組んで来た敬虔な生活を送ってきた人でした。さらにこの人は、主に尋ねる時、跪いていることが示すように、謙遜な姿勢の持ち主でした。このように、この世的な基準から見るならば、申し分がないような人だったのです。

 そんな申し分がないような人に対して、主イエスは容赦なく「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」(18章22節) と本当に厳しいことを言ったのです。ほかの誰に対して言っていないことを言っているのです。

 勿論、理由があるのです。人間的にはすばらしい人であるが、この人には、二つの問題があったのです。一つは、何をしたらと尋ねていることから分かるように、彼は、一番重要な自分の罪に気づき、深く悔い改めることではなく、行いによって神の義を得ることができると考えており、もう一つは、心の深いところで自分の地位や財産を人生の土台にしていたのです。彼は、自分や自分が持つ豊かさを土台にして、真理の人生を送りたいと願ったのです。

 主は、そんなこの人の姿、最も深い思い、願いを見たのです。あなたは自分の人生の土台をしっかり守りながら、永遠のいのち、真の人生を求めているが、あなたは人にとって最も大切なこと、自分の罪を認め、全てを神に明け渡すことを知らないと言われるのです。そのため、あなたが最も守りたいと思っているもの、土台にしたいと思っているものを明け渡しなさい、「あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。」そうした後でわたしについて来なさいと言ったのです。

 それを言われた時、自分の罪が分からず、財産を惜しんだこの人は、大変に悲しみ、主のもとから去ったのです。(23節)、心の深くは、主の言われた通りであることを自ら明らかにしたのです。

 私は、この青年は、現代の多くの人々とよく似ていると思います。自分の土台をしっかり保ちながら、人生の真理を考えようとするのです。この青年と同じく決していい加減ではなく、真剣な努力をしているのですが、最も大切なこと、人生にとってただ一つだけと言われているもの、いのちを与え、生かし、愛しておられる創造主に対して悔い改め(向きを変え)、自分を明け渡し、委ねることですが、それをしないのです。

 ともかく主は、自分や自分の土台をしっかり握りながら、人生の真理を求めている人に対して、どの時代においても「あなたには、まだ一つだけ欠けたものがあります。」と指摘するのです。

 

②続いて10章38節~42節を見て参ります。福音を宣べ伝えながら旅をしていた主と弟子たちの一行をマルタとマリヤの姉妹が迎えている場面です。大勢を迎えるため、しなければならないことが沢山あり、懸命に働いていた姉マルタが、主の一行が着いた後、何もしないで、ただ主のもとにすわって語ることに聞き入っていた妹マリヤに我慢できず、主に愚痴、もっと強く怒りをぶつけたのです。それに対し、主は、訴えたマルタに対し、名前を二度お呼びになり、深く慈しんでおられることを表し、あなたはいろいろなことを心配しているが、(永遠のいのち、真の人生において) どうしても必要なことはわずかです。いや一つだけだ、マリヤはその良いほうを選んだのだ、彼女からそれを取りあげてはいけないと諭しておられるのです。

 主は、そこに居合わせた者たちが思ったと違うようなことを何故言われたのでしょうか。マルタを深く愛すればこそでした。主はこの場面を用いて、マルタに対して、こんな時から分かるように、あなたは人生に対していろいろなことを心配して気を使っています。けれどもその一生懸命さのゆえに、本当に大事なことを見失いがちです。人が生きるうえにおいて一番大切なのは、今マリヤがしているように、全てを明け渡して神のことばをじっと聞くことであると諭しておられるのです。繰り返しますように、マルタを受け入れ、深い御愛をもって見ておられましたが、マルタの生き方には、大切な「一つだけ」と言われているものが欠けていると言われたのです。 

 

③主は何故、マリヤは良いほうを選んだと言い、暗黙のうちに、マルタに対して自分自身を省みるように言ったのでしょうか。その理由は先に見た富める青年の場合も同じです。創造主を第一とする人生のためですが、もっと言うならば、自分を知り、真の人生の幸いを知るためです。自分の深くに罪があること、しかし、悔い改め、すべてを明け渡すときに罪が赦され、新しいいのちが与えられるすばらしさを知るためです。

 神のことばをじっと聞くことによって、神との関係が新しくなり、心の深いところに生きる喜びが湧き、生きる目的、中心が変わるのです。当然、周りの人々との関係も新しくなるのです。マルタのような、そしてあの青年のような人は、生活力に溢れ、人間的にはとても魅力があるのですが、良い人、すばらしい人として真の平安、希望を知らないままに人生を終えてしまうのです。

 

◆(おわりに)主は今も私たちの「一つだけ」を見ておられる

 私たちが永遠のいのち、真の人生を求めることに対して、主は今も私たちの「一つだけ」、自分を明け渡し、神に従うことを見られます。すべてが整えられているとしても、ただ一つのことを見失っているならば、永遠のいのちを知ることはなく、滅びに至るというのです。放蕩息子の兄のような姿です。人として最も大切なことを知らない、罪を知らず、罪の赦しも知らない人生です。

 厳しい感じを受けるかも知れませんが、それを無視するということは、罪の状態のまま、創造主、まことの神から背を向けたままで生き、生涯を送るということなのです。

 私たちにいのちを与え、一人ひとりにその人しかなしえない目的を与え、そして、最も大切な御子をさえ惜しまないほどに愛してくださる神です。

 

 私たちに最も求められているのは、マリヤのように主のそばに行き、じっとそのみことばに思いと心を傾けることです。そうする時に、何をしても、誰によっても埋められることがなかった心の空白が、深い所から汲み出された水によってからだの渇きが癒されるように、主の愛と平安に満たされ、生きる喜びと力、希望が湧いてくるのです。主が語られた「一つだけ」ということばにはそのような意味があるのです。それぞれ、その一つだけを大切にしましょう。