飼い葉桶のみどりご

❖説教箇所 ルカの福音書2章8節~20節       ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句   「あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」   ルカ2章12節

❖説教の構成

◆(序)

 

①今年のクリスマス礼拝は、一つのことに注目して、救い主誕生の恵みを共に覚えたいと願っています。本日の箇所にある、御使いが羊飼いたちに御子の誕生を告げている10節~12節にあることば「恐れることはありません。私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょう、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生れになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」中でも、最後の「これが、あなたがたのためのしるしです。」ということばに注目をして、ご一緒にクリスマスの恵みを覚えたいと願っています。

◆(本論)飼い葉桶に眠るみどりごが意味するもの

①家畜小屋の中の飼い葉桶に寝ているみどりごが「あなたがたのためのしるし」、民全体のためのすばらしい喜びをもたらすためにお生れくださった救い主であるしるしとはいったいどういう意味でしょう。しるしとは何かを伝えるサインです。例えば、こうして教会に集い、礼拝を守っていることは、自分の人生において、神を土台にして、神のみことばによって生きることを現しているようにです。そのように御使いは「飼い葉桶に寝ているみどりごがあなたがたのためのしるし」というのです。いったいどういう意味でしょうか。実は、このことばの中にクリスマスに関する豊かなメッセージが満ちているのです。

 まず第一に、旧約聖書の中で何度も預言されていた救い主が生まれる約束が実現したこと、旧約聖書に出てくる救い主誕生についての預言が成就し、完全な永遠の救いの御業が実現する時が来たことを意味します。神の御子が世に来られることについて、実は、旧約聖書の中で何箇所においても言われています。代表的な箇所をとりあげますと、次のようなところです。

・ミカ5章2節「エルサレム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から永遠の昔からの定めである。」(BC700年頃)

・イザヤ7章14節「それゆえ、主は自らあなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女がみごもっている。そして、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」

・9章6節「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる、ひとりの男の子が私たちのために与えられる。主権はその肩にあり、その名は、『不思議な助言者、力ある神、平和の君と呼ばれる。』」(BC700年頃)

・53章4~6節「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」

・詩篇22篇1節「わが神、わが神。どうして私をお見捨てになったのですか。」(BC1.000年頃)

・ヨブ記19章25節「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。」(諸説あり、ソロモン王の時代~BC900年頃が有力)などです。

 旧約聖書の預言については、第二ペテロ1章21節では「預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語った」と言われています。

 このように、時代も立場も全く違う旧約聖書の著者たちによって、救い主のことがそれぞれ預言されています。それらを見ると、実際の、ベツレヘムにおいて処女マリヤより生まれ、悲しむ者とともに悲しみ、泣く者と共に泣き、最後には人の罪の身代わりとして十字架の上で死に、三日目に甦られたイエス様のお姿が浮かびあがってきます。

 こうして「飼い葉桶に寝ておられるみどりごが、あなたがたのためのしるし。」ということばが意味するのは、旧約時代から何度も預言されていた、この民全体にすばらしい喜びを与える、人を罪と死の支配から救い、真の平安をもたらす救い主が実際にお生れになったことを伝えています。罪に満ちた人の世界ですが、神は一人子を惜しまないで世を愛し、時が満ち、救い主をお送りくださったのです。(ヨハネ3章16節、第一ヨハネ4章10節) 冷たい飼い葉桶に寝ているみどりごは神の深い愛を現しているのです。、

 

②「飼い葉桶に寝ているみどりごがあなたがたのためのしるし」ということばが意味する二番目は、そのように神は、人の世を愛して御子を罪よりの救い主としてお送りくださいましたが、人の社会はそれを歓迎もせず、喜びもしなかったということです。

 住民登録のため、街が大勢の人でいっぱいであったとはいえ、身重の女性に必要な暖かい清潔な場所が提供されず、家畜小屋の中で生まれたということはそういう意味です。救い主はこの世の王のように、人々から待ち望まれ、また生まれたならば人々が声をあげて大喜びをするような方ではなかったのです。暗くて寒くて汚れている家畜小屋の中で生まれて、家畜の餌を入れる冷たい飼い葉桶に寝かされている救い主。考えればおかしなことではありませんか。神の御子が人のために救い主としてお生れくださったというのに、それを受けとめる人々は、マリヤとヨセフと、御使いから知らされたずねた羊飼いたち、そしてしばらく経って訪れた東方からの博士たち、後に幼子を神にささげるために神殿に行った時に、ヨセフ一家に目を留めたシメオンとアンナしかいなかったのです。そればかりでなく、イスラエルの王の誕生と聞いたヘロデ王は、ベツレヘム付近のその可能性のある男の子をすべて殺害させたのです。「この方は、ご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」という通りです(ヨハネ1章12節)。このように飼い葉桶に寝ているみどりごがあなたがたのためのしるしとは、人は救い主が来ても関心も寄せず、気がつきもしなかったということです。人は、今もクリスマスのお祝いをしていますが、救い主の誕生をお祝いしているのではなく、自分たちの楽しみとして行なっているだけです。

 

◆(終わりに)聞く耳のある人は聞きなさい。

 

 このように、飼い葉桶に寝ているみどりごがあなたがたのためのしるしという意味には、第一に、神は人のありのままの姿を全て承知のうえで、最も大切な方を犠牲にするほどの最高の愛を示された、罪人のために愛する御子を惜しまないで与えてくださった、そしてインマヌエルと呼んでくださったということです。人の最も重大な罪は、不信の罪です。しかし、神はすべて、人の罪をすべて承知のうえで、その罪を贖うために救い主をお送りくださったのです。なぜなら、神の愛は人の愛と違う、罪人を一方的に愛する、罪人を犠牲を惜しまないで愛する愛であるからです。第二にクリスマスを迎える人は本当に少ないということです。今も同じです。世界中でクリスマスをお祝いしていますが、救い主抜きの自分たちの楽しみのためのクリスマスです。そんな中で私たちにとって、大切なことは主を自分自身のありのままの姿、本来の姿を失ってさまざまな罪の実を結んでいる自分の奥底、それは家畜小屋のような姿ですが、そのところで、主よ。あなたは私のためにお生れくださったのですね、感謝しますと主を迎え入れることです。暗く寒くよごれたところですが、主がおいでくださる時に、深い喜びの場所になるのです。人生において何が幸いであるか。飼い葉桶に寝ているみどりごを知ることこそ、幸いな人生です。