神の眼差し

❖聖書個所 ルツ記1章6節~18節        ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句 「……あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」     ルツ記1章16節b

❖説教の構成

◆(序)ルツ記概説

 本日開いていますルツ記は、戦いやイスラエルの不忠実な姿が多く記されている旧約聖書において、さわやかな風が吹いてくるような印象がある書です。要約しますとこんな内容です。

 名もなきモアブ出身の女性が、飢饉のため、移り住んで来たイスラエル人一家の兄息子と結婚しましたが、若くして夫がなくなり、飢饉が改善したという知らせが伝わった、見知らぬ土地、姑の故郷イスラエルに赴き、姑に従順を尽くし、言うことに従い、ついにイスラエルの歴史において特別な存在であるダビデの曾祖母となるという生涯を送ったという内容です。 

 時代的には、イスラエルに王が立てられる以前、士師、さばきつかさが治めていた時期ですからB・Cの十世紀以前の古い時代です。それは、イスラエルの民がカナンに入ってから間もない頃であり、各地で混乱が続いていましたから、ルツ記が示すように民族が異なる者同士が良い関係を持っていたことはとても注目すべきことでした。ある聖書学者は、ルツ記は、険しい谷間に咲く小さな百合のような愛すべき書と言っています。

 

 もともとユダヤ人ではない、ごく普通の異邦の女性に主の眼差しが注がれ、救い主に繋がるダビデの家系の重要な位置を占めるようになったことを伝えるルツ記は、今、信仰生活を送る私たちにとって、大切なことを教えてくれる書です。本日は、読んでいただきました聖書箇所だけでなく、ルツ記全体から神が伝えようとしていることを受けとめて行きたいと願っています。

◆(本論)ルツ記が今も伝えるもの

①ルツについてまず注目すべきは、姑であるナオミを深く敬い、自分の故郷であるモアブの地を捨て、ナオミとともにイスラエルのベツレヘムに行ったことです。当時、夫が死んだ時には夫の兄弟と結婚するという制度がありましたが、この時、1章でナオミが言っているようにその可能性は全くありませんでした。自分のこれからのことを考えると、弟嫁であったオルパのように故郷のモアブに残ったほうがさまざまな道があったのです。また、先に述べたように、この時代は、イスラエルとモアブはしばしば戦いを繰り返していたこともあり、ルツがした決断は非常に珍しいものであったのです。

 ルツは普通の人がしない行動をしたのです。その理由について、モアブに残るように言ったナオミに対して、ルツは16節~17節のことばを語っています。(朗読)  自分がどれほど姑を慕っているか、究極の思いを表しています。単に、自分に良くしてくれたという程度ではない、ナオミの人格、生き方、そしてその中心にあると受けとめていた主への信仰を自分も大切にするという、生き方の根幹に関わる決意です。余談ですが、この16節~17節のことばは結婚式によく話される箇所です。   

 ルツは、短い期間でしたが、ナオミを知り、深い影響を受けていたのです。飢饉のため、外国の地に来て、二人の息子が結婚し、やがて生活が安定すると思ったのもつかの間、息子が二人とも亡くなり、一層苦しい状態になったが、二人の嫁に対して深い愛情を注いだナオミの人格、生き方に人生が変わるような影響を受けていたのです。ナオミの言うように、そのまま、モアブに残り、モアブの男性と結婚し、モアブの神を信じて生きて行くということは、ルツにとってもはや考えられなかったのです。

 

②そのような思いをもって、ナオミとともにイスラエル、ベツレヘムに来たルツですが、二番目に注目すべきは、ベツレヘムの地で積極的に行動したことです。畑の落穂拾いにでかけたことです。これは、レビ記19章9節~10節(朗読) にある貧しい者たちを助けるための律法によるものですが、ルツは、一生懸命に落穂拾いをし、ナオミを助けたのです。そして、ルツの働きぶりを見、また評判を聞いた畑の所有者であり、ルツ記の重要なテーマである買い戻し(ゴーエル、贖うということ)の権利を持つボアズの好意を得たことです。

 ご承知のように、ボアズの知己を得たことが後々、イスラエル二代目の王ダビデの曽祖母となるということのきっかけになったのですが、知り合いが一人もいない外国の地において、ルツはナオミを助けるために、積極的に行動をしたのです。そのように行動したことから考えてもいなかった道が開かれていったのです。ルツ記を読む時に、ともすれば、2章にありますように、ナオミが畑の持ち主であるボアズがルツにとても良くしてくれた話を聞き、そして3章のように、ルツに大胆な行動をするように勧め、ルツもまたその勧めに従い、思い切った行動をしたことがクローズアップされることが多いのですが、真の中心は、イスラエルと必ずしも関係が良くないモアブ出身の女性が、姑、ナオミの人格の中心にあるもの、主に対する信仰に非常に惹かれ、それゆえナオミと共に生きることを選び、先が少しも見えない中で懸命に行動したときに、思ってもいなかった道が開かれたことです。そして、4章、一連の手続きを経て、何よりも、ルツの買い戻しが実現したことです。ルツの買い戻しとはおかしな言い方ですが、聖書の他の箇所では、主の集会に加わってはならないと言われたいたモアブ人であるルツが贖われて、神のものとされたということです。

 

◆(終わりに)ルツを導いた主は変わらない

   ルツ記は今も私たちにいくつかの大切なことを伝えています。まず第一に、今も話したように、聖書の他のところでは主の集会に加わってはならないと言われているモアブ出身のルツですが、その信仰、また実際の行動を主がご覧になって贖いをなし、イスラエルの歴史にとって重要な人物の先祖となしてくださっていることです。それは、主が民族、国籍などではなく、一人ひとりの生き方をご覧になっていて、主を信じ、従う者の生涯をみちびいてくださる、その生涯を神のもとに買い戻す、贖ってくださるということです。

 クリスチャンホーム出身の女性にルツという名前の方を時折り見かけます。私たちの教会にも中村ルツさんがおられます。そうした方の一人に安藤路津子さんという方がおられました。この講壇からよくお話します安藤仲市先生の夫人です。古い話ですが、神学校時代、三年間、その教会にお世話になり、たくさん話をお聞きしました。当時、すでに70代半ばでしたが、それまでの人生のことについて話してくださいました。裕福でない牧師家庭に育ったこと、よく相手の顔も知らないうちに婚約したこと、出産の時に大出血して気が遠くなり、夫である先生が医者を呼びに行ったが、断わるように言い、主にだけより頼み、助けられたこと、赴任先の満州でひとりのこどもをなくしたこと、ひとりのこどもが病気になって後遺症として耳に障害が残ったことなどです。そのように、さまざまな苦労をして来たが、主は真実であった、結婚する時に二人で、いくつかの道があるならば、一番貧しくなる道を選ぼうと決め、そのようにして来たが、主は、いつも守り、却って豊かに恵んでくださったと話しておられました。まるで、聖書のルツのように主に従い、懸命に生きておられた姿を主は豊かに顧みてくださったと証しされていました。お子さんたち、孫たちの中から多くの牧師が生まれています。

 旧約聖書の中で多くの人々に親しまれているルツ記ですが、その理由は、ルツという女性の懸命な生き方にあることは言うまでもないことですが、何よりもすばらしいのは、主は民族、国籍に関係なく、何人であろうと、主を信じ、従う者に目を留めておられる、ともにいて、もっとも

 

良い道を備えておられるということです。ルツ記はその神の眼差しを示している書です。まだ主を受け入れていない方もぜひ、神の眼差しを知って神のもとに帰ってくることをお勧めします。