いのちを与える神

❖聖書箇所 Ⅰコリント3章1節~9節     ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句 「それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。」                   第一コリント3章7節

 

◆(序)コリント教会の状況

 パウロたちの福音宣教によりギリシャの大都市コリントに誕生した。コリントは、市の東西に二つの良港を持ち、外国との貿易や交流が盛んに行われていた繁栄していた都市であった。ギリシャ哲学の流れに立ち、人間の理性を重んじる思考形式を持った人々が多くいたと同時に大きな偶像の神殿もあった。最盛期には自由人が20万人、奴隷(近代の奴隷とは違う)が50万人いたと言われる。堕落した生活をしている者が多くいると非難されていた。

 そんなコリントにパウロたちにより福音が伝えられ、主の教会が出来た。(使徒の働き18章)短期間で新しい地に移ることが多かったパウロにしては珍しく一年半の滞在であった。

 

 しかし、パウロ一行がやがてほかの地に移った時、コリントの教会にさまざまな問題が噴出した。分裂騒ぎ、知識を誇り人を裁く者たち、身勝手な信仰生活を送る者たち、社会倫理に明らかに反する行いをする者たちが横行するようになり、教会外において信者同士が訴えあい、結婚、偶像にささげた肉、格好、衣服を巡っての対立、論争、聖餐の軽視、互いを軽視することから来る不一致、御霊の賜物についての混乱、また復活の教理についての対立などが起こった。一挙にあらゆる問題が噴出したのである。

◆(本論)何故、こんなことになったのか。

 ①直接の理由は、パウロたちが去った後、新しく立てられた長老(監督)の指導力不足であった。新しく任命された長老(監督)については、はっきりと言われていないが、恐らく第Ⅰコリント16章15節、16節に出ている者たちであろう。

 この人々が、福音を人々に正しく伝えることができなかった、又信仰生活についてはっきり語ることができなかったものと思われる。先に見たように、繁栄し、非常に人間的要素が強いコリントの街で自分たちは救われ、教会が生まれ、そしてそういう街に遣わされているということをあまり意識せず、漠然と語り、漠然と指導していたのではないか。緊張感がなかったのではないか。 一つの地域で教会を立て上げることは、長年の祈りとみことばと取り組むことによる困難なわざであるが、教会が壊れることは容易である。長老(監督)が福音を正しく伝えず、教会の重要性を人々に示さず、又群れの一人ひとりが自分の信仰生活に無関心であるならば、言い変えるならば、適切な指導がされず、互いが主を中心とせず、自分たちの思う通りのことを行うならば、それまでいくら良い歩みをしていた教会であっても、すぐに崩れ、ただの人間的つながりによる集まりになる。それはおそらく、気がつかないうちにその状態が進行するのであるから、多くの人がそれに気づいた時にはもう遅い。

 

②真の原因

 しかし、すべて長老(監督)の責任にすることは実情に合わない。たとえ、次の長老がパウロのようでなくても(パウロのような長老が特別なのだが)、群れの人々がしっかりと福音に立ち、キリスト者としての意識を持ち、地域の中で生きるならその長老の不足を補うことが出来るはずである。特に古くからの中心にいる人々がしっかりしているならば、後任の長老がまだ成熟していなくても、育て、教会はみことばを中心にして立つことができる。それゆえ、現実的に教会が崩れているのは、長老と信者の両方に理由がある。

 そして、そういった両方の考えの根底にあるのが、主ご自身ではなく、人間を教会の中心にすることである。コリントの人々は、その誤りをおかした。パウロは、本日の1節から4節においてその誤りを指摘している。人を中心に考えることは神、御霊に属していない、肉に属する考えだと言う。(聖書の他のところでは肉は、本来、罪の性質を言うが、ここでは未熟な考えという意味である。)

 コリントの教会には、十字架の主ではなく、人を見る者たちが多くいたのである。(1章12節でも指摘されている。)恵みの主よりも、監督、長老や中心にいる信者を見て、人間的に考える人々がいた。パウロは、そのような考えは、明らかに間違いであると言い、5節~9節で働き人自身はあくまでしもべにすぎず、本当に大切なのは「成長させてくださる神」いのちを与え、みことばを与え、キリストに似た者と変え、神の栄光を現す生涯を与えてくださる神であると言う。働き人自身のことは心配しなくて良い。それぞれ主からの恵みをいただいていると言う。

 

③ここで指摘されているようなことは、よく話すが、日本の教会と似ていると思う。信仰、クリスチャンとしての生き方を自分たちの状況に合うように変えてしまう点において、このコリントの教会と日本の教会は似ているように思う。

 日本の教会について言うならば、日本の教会は、戦前、天皇を中心とする国家神道による絶対主義体制のもと、強い監視のもとに置かれていたという状況があるが、キリストの教会ではなく、国家の考えに従う教会となっていた。みことばに従うよりも、当時の国体、天壌無窮の皇室を中心とする体制による国全体の統制、八紘一宇の精神による大東亜共栄圏実現に奉仕するものであった。しかし、国民を抑圧し、諸国、諸国民を蹂躙したそのような国家は、いつまでも続かなかった。無理は続かず、敗戦により、崩壊した。 

 敗戦後、体制の一新により、キリスト教会も新しく出発した。しかし、その出発は、神に背いていたこと、誤っていた姿を認め、本格的な悔い改めをしたものではなかった。教会は、むしろ、神の前に誤まった道を悔い改めず、むしろ、これまでは自由に宣教できなかったが、古い体制が崩壊し、これからは新しい体制のもと、何物にも制限されないで宣教できると喜んだ。戦前の教会について、罪を認め、本格的に悔い改めを表明したのは、日本基督教団が1967年、戦後、22年経ってからであり、福音派の諸教団が悔い改めを表明したのは、それから25年経った1990年代はじめである。

 

◆(終わりに)みことばに立つ教会を目指す

 何を言おうとしているのか。我々、日本の教会の歴史を見ると、コリントの教会と同じように

人間的に流れやすい教会であるということである。戦前は、国家による監視支配体制というものであったが、その中心にあるものを突き詰めると、ここで言うように、成長させてくださる神よりも、人を見る教会であったということである。

 いや、むしろその傾向は、日本の教会に本質的にあるように思う。有名な話がある。明治の頃、最初にできた教会の規則に、極めて大事であるが、ついに教会規則に入れられなかったものがある。それは、わかりやすく言うならば、皇室や地域の神々にひざまづかないこと、王、最高権力者の命令であっても間違っているなら従わないこと、家族親族の情愛に流されないでクリスチャンとして生きることである。主にあって生きて行くためにはどれも大切であるが、言うまでもないといって遂に教会規則に入れられなかった。しかし、本音は、これらを鮮明にすると社会から批判されることを恐れたものと思われている。

 

 教会にとって大切なのは、人や国家、社会の言う通りになるのではなく、成長させてくださる神、人にいのちを与え、罪の贖いをなしとげ、聖霊を与え、すべてを裁く権威をもっている神を恐れる、第一にし、愛することである。そうすることによって、本来の教会の役割、本当の平安、希望を伝えることができる。私たちの金沢中央教会はそういう教会を目指したい。