危険人物の回心

❖聖書箇所  使徒の働き9章1節~22節    ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句  それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。      ピリピ人への手紙 3章8節a

 

◆(序)この箇所の背景について

 初代教会で最も知られた伝道者、神学者、また牧会者であったパウロの救いの場面です。パウロは、8章3節に「サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。」とあるごとく、国内のクリスチャンを痛めつけ、苦しめたことに飽き足らず、9章1節、2節「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば、(キリスト教徒のことですが) 男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」に記されているように、変わらず熱心にクリスチャンを迫害し続けたのです。

 

 遠く約220キロ離れたシリヤのダマスコ、徒歩だと6日間ほどかかる所まで行こうとしたのは、多くのユダヤ人が住み、ユダヤ人社会を形成し、そしてユダヤ教の会堂に集まり、神を礼拝していたのですが、そこにクリスチャンが入り込んで混乱を与えているという情報がもたらされたからです。サウロは、当時の大祭司や議会の議員たちの支援を得て、その人々の代表者としてその地のクリスチャンたちを捕え、エルサレムに引いて来て、彼らを痛めつけ、生まれたばかりの教会の火を消すために意気込んで、ダマスコに乗り込んだのです。

◆(本論)激しく憎んだ理由と急激に変わった理由

①この時のことについて、パウロは、回心した後、22章、26章において自ら話しています。26章10節~12節をお読みします。(朗読) 

  ちなみに何故、パウロはこれほどまでにクリスチャンを憎んでいたのでしょうか。二つの理由が考えられます。一つは福音の内容です。「きよい神の御子である方が、人の罪のためにむごい十字架の死を受け、三日目に死より甦られた。それが自分の罪を贖うためであったと信じ、受け入れるだけで救われる、神の義を受けることができる。」という内容のゆえです。これは、選民、契約の民として生まれ、神の律法や伝統を厳格に学び、忠実に従うことによって神から義と認められると生まれた時から教えられ、懸命に取り組んで来たパウロにとって耐え難い、神を汚している教えと思われたのです。ある存在、又ある出来事を信ずるだけで簡単に神の義を得ることなど出来ない、そんな教えは誤った、神を汚すものと思えたのです。そのために彼は正しい怒りだと思い、クリスチャンを迫害し、生まれたばかりの教会を徹底的に破壊したのです。

 もう一つの理由は、主を信じている者たちのゆえです。主を信じた者たちの中に、これまで決して神に受け入れられないと思われていた取税人や遊女や律法を学んだこともない「汚れた者たち」が多くおり、神の聖さを汚していると思ったゆえです。

   それら二つの思いの中心にあるのは、神について知識のある人にも知識のない人にも、敬虔な生き方をしている人にも、不敬虔な生き方をしている人にも、変わりなく救いの道が開かれているという考えに対する強い否定です。それは誤った、汚れた考えである、神はそのような救い、義を与えておられないという強い拒絶の思いです。

 

②そんな強い思いを持っていたパウロが一気に変わったのです。それについて聖書は、迫害の意に燃えていたパウロがダマスコの近くまで来たとき、突然、主イエスが彼に現れ、彼に語りかけたと記します。そして、イエス様が現れた後、ものを見ることができなくなったパウロが、ダマスコに連れて行かれ、パウロのために特別に召され、当初は強く抵抗したが、了承したアナニヤによって御心が示され、目からうろこのようなものが落ち、目が見えるようになり、彼はバプテスマを

受け、反対に主の福音を力強く伝えるようになったのです。26章13節~18節でその時のことについて語っています。(朗読) 

 念のためですが、彼は自分の意思と関係なく、ただ言われたから無理矢理に回心したのではありません。確かに、直接は否定していた主イエスが特別に現れ、福音が真実であると示されたことによるのですが、それだけではなく、パウロ自身がクリスチャンたちのほうが本当ではないかという思いを持っていたところに、この出来事があったからではないかと思います。というのは、痛めつけられながらも、中にはステパノのように殺されそうになりながらも、平安と希望に満たされている者たち、そんな彼らと比べて、自分は確かに律法についての知識を持ち、それに基づいた生き方をしているけれども、人生に対しても、死に対しても、平安も希望もない、彼らこそ、彼らが信じている福音こそ、正しいのではないかという思いを抱いていたように考えます。先に見ましたように、汚れた教え、神を汚している者たちを撲滅させることによって神に仕えるという思いを持って遠く外国にまで出かけたのですが、この出会いにより、間違っているのは自分のほうだった、彼らが信じているものこそが正しかったのだと確信したのです。それが有名な「目からうろこ」のようなものが落ちたという表現になったのです。

 

③中でも、決定的な理由は何だったでしょう。自分のような者をも召してくださった神の無限の愛、主の導き、また警戒され、恐れられていた者のために来てくれたアナニヤの誠実な姿もありましたが、頑なパウロの心が決定的に変わったのは、イエスが神の子である、言い換えれば、その生まれ、その生き方、その最後、そして復活は神の子のお姿そのものであると分かったことです。これは本当に大きな変化でした。

 繰り返すように、はじめパウロは、イエスを信じるだけで義とされる、救われると主張しているクリスチャンたちを断じて許すことができませんでした。名もなき人々を両親とし、いくら旅の途中とはいえ、汚れた家畜小屋の中で誕生し、この世からはじき出された人々と共に生き、最後には国の支配者によって社会に混乱を与えたということで重大な犯罪人として十字架につけられ、処刑された人物、しかし、何やら死よりよみがえったという不穏な評判の人物、そんな人物を信じるだけで神の救いをいただくことができるという、唾棄すべき、何と言うおぞましい教えではないか、何もかも信用できないと思っていたのです。しかし、上記のように、実際のクリスチャンたちの様子から、彼らの方が正しいのではないかと思いかけていたところに、このことがあり、すべてを理解したのです。自分が信用できないと思っていたイエスのお姿、その生まれ、生き方、最後、そして復活のすべてが人、私の罪のためであった、まことにイエスは神の子、神であったと分かったのです。人生の大転換でした。それが分かりましたから、「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」(ピリピ1章21節)というようになったのです。この理解、イエスは神の子であると受け止めたことが、パウロの人生の大転換をもたらしたのです。

 

◆(終わりに)イエスは神の子と信ずる人生こそ恵み

 

   私たちの人生を変えるのは、イエスが神の子であると分かることです。近代神学における論争の一つにキリスト論というものがあります。イエスをめぐっての論争です。中にはイエスはあくまで宗教的なすばらしい人であり、神の子ではないという人々がいます。そしてそういう考えにたって、イエスが目指したものが人間社会において重要だと言うのです。割合、多くの人がそういう考えを持っているように思います。しかし、私は、そのような考え方は聖書全体を強く否定すると思います。そうではありません。イエスは、聖書の始めから預言され、そして実際にこの地上に来られ、人の罪の贖いを成し遂げ、終わりの時に再び来て、全てを裁く神の子なのです。パウロはそれがはっきり分かったので、根本的に変わったのです。そしてそこから生きる力が与えられたのです。

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