衝撃を受けた出会い

❖聖書箇所 使徒の働き7章54節~60節      ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句 私たちは、見えるものにではなく、目に見えないものにこそ、目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。   第二コリント4章18節

◆(序)この箇所について

 キリスト教会最初の殉教者であるステパノの死の場面です。けれども、このところは、ただステパノがどのように死を迎えたのかを伝えているだけではなく、初代教会の中心となったパウロの救いのきっかけとなった場面として、実は、教会の歴史にとって大きな転換点になった箇所です。

 議員たちは、ステパノの語ることを聞いて、先祖たちや自分たちを侮辱している、何よりも神を汚している、冒瀆していると腹わたが煮えくり返るほど怒り、人々を扇動して、ステパノを殺害したのです。神に特別に選ばれた民であるという選民意識、律法を大切にして生きているという自負心が非常に強くあったのです。そんな議員たちに対して、一方、ステパノの心深くにあったのは、主キリストによって与えられた神の義、福音であり、永遠のいのちの喜び、希望でした。ステパノの殉教の背景には、これら二つ、自分たちを誇る選民意識、律法中心の考えと主イエスによって与えられた恵みに生きる思いがあったのです。 

 

 本日は、迫害する者の側にサウロ、後のパウロがいたことが特別に記されていることから、パウロとステパノの二人に焦点をあてて、教会の歴史にとって大きな転換点になったこの箇所を共に見て行きたいと思います。

◆(本論)パウロとステパノ

①始めに、迫害した側のサウロ、後のパウロについて見ることにします。繰り返しになりますが、ステパノの姿勢、説教だけでなく、ステパノが「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(56節)と語ったことに対し、議員たちを中心として人々は、どこまで神を汚すのかと怒りくるい、町の外に追い出し、神を汚す者に加えられる石打ちの刑でステパノを殺害したのです。先祖や自分たちを貶めるだけでなく、神の栄光を見たと神を汚している、律法に定められている重大な罪を犯していると怒りを持って、刑罰を下したのです。(レビ記24章14節参照)

 ヨハネの福音書8章59節を見ると、主を受け入れない人々も、イエス様を石うちにしようとしたと記しています。また、使徒の働き14章19節では、強く反対する者たちが、悔い改め、キリスト者になったパウロを実際に石うちにしたと残しています。主イエスを信じ、そして福音を述べ伝える者たちに対し、人々は強く反発し、神を汚しているとこぶし程の大きさの石をもって殺そうとしたのです。

 この場面においては、パウロ自身は、実際に石を投げ、ステパノを殺害する行いに加わらなかったのですが、証人たち、ステパノは神を汚したということを証言し、そして石を投げた者たちが着ているものをパウロの足もとにおいたとありますから、当然ステパノに対して強い怒りを持ち、殺害しようとする立場でした。後で自分の信仰の証しをしている場面で「主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしてことを彼らはよく知っています。またあなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。」(使徒の働き22章19節~20節)と言っています。

  パウロは、生まれた時から厳格な律法教育を受け、また実際にパリサイ派として、律法を忠実に守ろうとした者であったのです。律法を詳しく学び、実行することによって、神の義を得ようとしていたのです。ところがそんな生き方をしていたパウロから見るなら、近頃、エルサレムの中で急に増えてきたキリスト者と言われる者たちは、律法を知らず、学んでもいず、守ろうともしないただ福音、キリストの十字架の死と復活を信ずるだけで救われる、神の義を得ることができると言っている、だんじて容赦できない、神を汚している者たちだ、決して認めることができないと

心からキリスト者を憎んだのです。そのため、彼は神に仕えるという純粋な信仰的確信に立って生まれたばかりの教会を襲い、破壊したのです。(使徒の働き8章1節~3節)このことについて、パウロ自身が後に何度も告白しています。(使徒の働き22章4節、26章9節~11節、第一テモテ1章13節) 

 けれども、こうして学んで来た教えに基づいて教会、クリスチャンたちを先頭に立って迫害していましたが、実はパウロの心の中は、どうしても神の義を得ることができないという思いで苦しんでいました。神の義を得ようと律法に取り組めば取り組むほど、それを守ることが出来ない、自分の中心に自分でどうすることができないものがあることを深く感じていたのです。

 一方、そんな自分とは対照的に、迫害され、命を奪われそうになりながら、平安と希望に満たされているクリスチャンたち。何が正しいのだろうか。本当に自分が教えられ、信じて来たことは正しいのだろうか、パウロは苦しみました。この場面においてもステパノが、こぶしほどの石をいくつも投げられ、血を流し、息も絶え絶えになりながら、死後のことについて希望を持って「主イエスよ。私の霊をお受けください。」と言い、そればかりか、ひざまずいて「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と叫び、平安のうちに召されているのです。その姿は、怒りと悩みの中にあったパウロにとっては衝撃でした。こんな苦しみの中にいながら、希望と平安をもたらしているイエスとはどんな存在なのだろう、自分がより頼んできたものとどこが違うのだろうと心に非常に深く残ったのです。

 

②そんなパウロに対して、ステパノは最後まで深い喜びと希望を持つ者でした。ステパノについては、6章において、教会に仕える者として選ばれた、御霊と知恵とに満ちた人の一人であり、特に信仰と聖霊とに満ちた人と紹介され、反対者に対しても恵みと力とに満ちて語った者であると言われています。 個人としても素晴らしい人物であったと思われますが、聖書が強調しているのは、彼が主の恵みと聖霊に満ちていたということです。彼自身の強さではないのです。それは、ステパノが主イエスの十字架の死の意味を本当に知っていたからです。自分のこととして深く味わっていたからです。栄光に満ちた神の御子でありながら、罪と死に支配され、真の生きる目的、意味を見失い、自分を善悪の基準とし、他者を非難、攻撃し、貪りの欲望によって生き、そして、生きること、死ぬことの苦しみを味わい、他の人々に味あわせている人のために身代わりの死を受けてくださった、新しいいのち、深い喜びと希望を与えるために、最も残酷で屈辱的な死刑である十字架を受けてくださり、三日目に甦られて、本当に私たちを神のこどもとしてくださった、何という恵み、何という愛であろうかという思いです。それゆえ、現実の世界の苦しみと死を超えるものがあると固く信ずることができたのです。

 

◆(終わりに) 現代の私たちに伝えるもの

  客観的には、むごい、残忍な場面です。しかし、この所は、ステパノを石で打ち、倒した者たち、ここでは特にパウロが勝利し、打たれて殺されたステパノが敗北したと伝えているのではありません。敗北者に見えた者の生涯が人々の心に大きな足跡を残した、特に、後でキリスト教の歴史の中で本当に大きな役割を果たした当のパウロの回心に強い衝撃を与えたと伝える所です。

 私たちは、このような場面を見ると、なぜ、主は助けてくださらないのだろうと思いますが、

 

実はこの場面は、主は見捨てておられない、ステパノの生きかたとその死を非常に大切にしている、何よりもステパノ自身を深く愛していることを伝えているのです。なぜなら、彼は主に迎えられ、そして、彼の生きかたは多くの人々、中でもパウロの回心の土台となっているからであり、今尚、ステバノの生きかたとその死は、厳しい状況において主に従う者たちを励まし、勇気を与えているからです。私たちは現実的な助けがないと神は見捨てたと決めてしまいますが、そうでなく、キリスト者は永遠の恵みに生きる特別の存在であることをこの場面は一人ひとりに伝えているのです。