この終わりの時に

❖聖書個所 ヘブル人への手紙1章1節~3節  ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。

 

                             ヘブル人への手紙1章1節~2節a 

❖説教の構成

◆(序)全体を見る理由

 

 待降節第二週の本日は、主の誕生について記す三つの福音書から一連の出来事をまとめて見ることにします。御子の誕生に関する一つひとつの出来事は、それぞれに重要な意味を持っていますが、全体を把握することにより、主の誕生の意味がより鮮明になると思うからです。

◆(本論)一連の出来事

①聖書は、倫理道徳の書ではありません。救済史の書です。天地万物を創造され、人をご自身のかたちとして創造された神が、神と同じようになりたいと願い、神に決定的に背き、罪と死に支配されるようになった人(ローマ3章10節~18節) になされた救いの御技の書です。

 その最初のわざは、人が神に背いた時、すでに示されていますが、(創世記3章)、具体的には全ての人から信仰の人、アブラハムを選び、「地上の全ての民族は、あなたによって祝福される。」と祝福の契約を結んだことから始まっています。(創世記12章) そしてさらに、その子孫であるイスラエルと、彼らを聖なる国民、宝の民、祭司の王国とする契約を結び(出エジプト19章)、彼らに神の民の生き方を示す十戒を中心とする律法を与えたのです。(出エジプト20章以後) 

   このように、恵みとまことにより、人の罪を贖い、死の支配から救うために、主は御心を示されたのですが、人の側は旧約に記されているイスラエルの歴史から分かるように、神の民とされた道からはずれ、不信を繰り返しました。そのため、見捨てられても仕方がない状況でしたが、しかし、主は変わりなく人に対する真実の愛を抱き続け、救い主を送られる約束を預言者を通して繰り返し告げ、そして遂に時が満ちた御心の時に、最後の御技、ご自分の愛するひとり子を人のかたちを持つ者として、処女より生まれさせ、罪を完全に贖う方、救い主として送りくださったのです。本日の中心の聖書個所であるヘブル書1章にある通りです。(1節-3節) 

 

②そのクリスマスの出来事は次のように起こっています。まず旧約と新約の橋渡しをするバプテスマのヨハネの誕生が救い主の母となるマリヤの親族であるエリサベツの夫、ザカリヤに告げられることから始まっています。夫婦とも年をとっており、又長年、子どもが与えられませんでしたから信じられずにいましたが、告げられた通り、エリサベツが実際に救い主の先触れの役割を果たすことになる子、後のバプテスマのヨハネをみごもったのです。(ルカ1章5節~23節)

 その出来事があってからしばらくして、ガリラヤのナザレという片田舎にすんでいたマリヤという処女に御使いのガブリエルが現れ、「あなたはみごもって男を生みます。名をイエスとつけなさい。」と告げたのです。マリヤは、男の人を知らない私にどうしてそんなことがあろうかと非常に恐れを感じ、困惑しています。しかし、御使いから、人間常識ではあり得ないそのことに込められている意味を知らされた時、彼女は「ほんとうに、私は、主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」とすべてを受け入れたのです。そして、先にみごもっていた親類のエリサベツと会い、主をあがめる有名な賛歌を歌っています。(ルカ1章24節~55節)

 マリヤの方は、信仰を持って受け入れたものの、元々ダビデの家系出身の、婚約者であるヨセフは悩み苦しんでいました。まだ二人が一緒にならないうちに、いいなづけであり、律法上は妻として扱われるマリヤがみごもったと知らされたのです。十戒の一つで禁じられている姦淫という大きな罪をおかしたに違いない、しかし、マリヤを人々のさらしものにしたくなかったので、

ひっそりといいなづけの関係を解消し、いっさい関係を断とうと思ったのです。しかし、そんな彼に主の使いが夢の中で「ダビデの子ヨセフ、恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎にやどっているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」と語られ、ヨセフもそのことばを信じ、マリヤを迎え入れたのです。(マタイ1章18節~25節)

 こうして、ヨセフはマリヤを迎え入れ、数ヶ月経った頃、当時、ユダを支配していたローマ皇帝からそれぞれ先祖の出身の地に行き、そこで住民登録をせよという命令が出されました。既にマリヤの出産の時期が近づいていましたが、登録をするために二人はガリラヤから遠くベツレヘムまで出かけたのです。そして、そのところでマリヤは月が満ちて、ようやく見つけた、寒く暗い、よごれた家畜小屋で、男子の初子を産み、布にくるんで冷たい飼い葉桶に寝かせたのです。栄光に満ちた神の御子が、こどもの誕生に最もふさわしくない場所においてお生まれになったのです。

 その、預言者たちがはるか以前から預言していた神の御わざが実現した頃、野原で夜通し、羊の番をしていました羊飼いたちに~この人々は社会から信用されていない人々でした~突然、御使いが現れ、救い主誕生を告げ知らせ、又多くの天の軍勢も救い主誕生を讃美したのです。驚き、恐れた羊飼いたちでしたが、やがて落ち着きを取り戻し、さあ、ベツレヘムに行ってこの出来事を見てこようと出かけ、マリヤとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ておられるみどりごを見つけ、自分たちに起こったことを人々に告げ、神を讃美したのです。(ルカ2章1節~20節)

   ベツレヘムでこのような起こっていた頃、少し離れたエルサレムに、はるか東方の地から、救い主誕生の星を見たのでその救い主をあがめるために来たという珍しい訪問者たち、博士たちが来ていました。彼らはヘロデ王を訪れ、その地はベツレヘムと教えられ、出かけ、やがて星に先導され、遂に幼子と会うことができ、そして大喜びをし、ひれ伏して拝み、大切に携えて来た贈り物をしたのです。一方、博士たちからユダヤ人の王が誕生すると言われたヘロデは、不安に襲われ、後にその可能性のある二才以下の男の子をすべて殺させたのです。人の根本の問題である罪より、完全に、永遠に救う方がお生まれになったというめぐみの御わざが実現したのに、残虐このうえもない悲惨な事件が起きたのです。(マタイ1節~23節) 

   想像を超えた人々の訪問を受けたヨセフとマリヤは、律法に定められている清めの期間(40日間)が終わったので、幼子を主にささげるためにエルサレムの神殿に行きました。そこは広く、両替する人々やいけにえを売買する人々、礼拝者が大勢行き交う場所でした。律法の定める小さないけにえを購入したヨセフとマリヤは、全てを思い起こしながら幼子をささげようとしていました。その時、思いがけなく年老いた二人の人から声をかけられたのです。シメオンとアンナでした。この二人は神を恐れていない世にあって、切実に主を求め祈っていた、救い主を見るまでは決して死なないという約束を与えられていた人々でした。この二人から幼子がどのような存在なのか、どのような生涯を送るのか、はっきりと知らされたのです。母マリヤも父ヨセフもこれらのことばを静かに深く受けとめました。(ルカ2章22節~38節) 以上、これらのことが起こったのです。

 

◆(終わりに)全体を通してより鮮明になったこと

 

 全体を見て感じたことがあります。人の根本問題である罪を贖う方が世に来られたという歴史の大転換がなされたのですが、出てくるのは名もない人々であり、起きているのは中心地ではなく、片隅ということです。決してこの世の王の誕生のようではありません。これが意味するものは小さくない。このうえもない真実な神の愛が示された出来事ですが、聞く耳のある人は聞きなさい、狭き門から入りなさいということを示しているからです。何故なら、主が与えられた救いは罪を知り、その贖いを切に求める人に与えられるからです。世に溢れる騒がしいクリスマスに惑わされず、神が与えた真のクリスマスを感謝と深い喜びをもって迎えましょう。そして伝えましょう。