今、ここに遣わされている私たち

❖聖書個所 エステル記4章8~17節   ❖説教者 川口昌英 牧師  

❖中心聖句 神が私たちに与えてくださったものはおくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。                        第二テモテ1章7節


◆(序)この個所について

①エステル記は、聖書でありながら、神、主が一度も出ていません。時代的にはユダがバビロンに征服され、おもだった者たちが遠くバビロンに捕囚された後、そのバビロンをペルシャが征服したときです。(ちなみに、この書に出てくるアハシュエロス王は、BCの486年から465年までメソポタミヤ一帯を支配した強大なペルシャ王です。) 

 捕囚され、ペルシャ領土内に住んでいた全てのユダヤ人がペルシャの高官、ハマンの計略により、殲滅されるという危機的状況になりましたが、寸前のところで回避された出来事について、その危機回避のために大きな役割を果たした王妃エステルとその養父モルデカイの行動が中心になっています。関連してアハシュエロス王 (ギリシャ名クセルクソス王)の強大な権力、又ユダヤ人虐殺計画の直接の原因をつくった高官ハマンの行動、その結末などが記されています。

②本日開いています4章は、その激動の状況について記されているエステル記の中で、聖書記者が最も伝えようとしているところと思われます。

 この出来事に至るまでの経緯として、1章からユダヤ人であるエステルが王妃として選ばれたこと、モルデカイが王の暗殺計画を阻止したことや王の側近ハマンに対し、ペルシャ中の人がひざをかがめ、ひれ伏せという王の命令が出されたが、ただ一人モルデカイが決してひざをかがめなかったためにハマンがそれを恨み、怒り、そして巧みに王に取り入り、領土内にいるすべてのユダヤ人を殺害し、彼らの家財を奪えという王の命令が出されるように工作し、計略が成り、ペルシャ全土にユダヤ人絶滅の王の急使が送られたことが記されています。 

 聖書はその命令が出された時の状況について、次のように記します。「そこで、第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、ハマンが、王の大守や、各州を治めている総督や、各民族の首長たちに命じたことが全部、各州にはその文字で、各民族にはそのことばでしるされた。それは、アハシュエロスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。」(4章12節~13節)ユダヤ人を全滅せよとの命令が帝国内の隅々にまで送られたのです。

 慣例では、一旦、王の命令が発せられるや、取り消されることは絶対にありませんでした。ユダヤ人絶滅が目前でした。本当に残酷ですが、このようなことは歴史の中で度々起こっています。有名なのは、ドイツ第三帝国ナチスの時代、ヒットラーによるユダヤ人大量虐殺です。また最近でも旧ユーゴスラビヤでも民族浄化といわれるジェノサイド(大量虐殺)がありました。


◆(本論)死を賭けて決断したエステル

①事態が急展開する中、ユダヤ人の中心となっていたモルデカイは行動を起こしました。危機回避の唯一の可能性である、王妃となっている養女エステルと懸命に連絡を取り、彼女に王の所に行き、自分たちの民族のために命令の撤回を願うように依頼したのです。

 しかし、その頼みを聞いたときのエステルの返事は「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも召されないで内庭にはいり、王のところに行く者は、死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」(4章11節) というものでした。今の自分の状況では行動できないと言っているのです。

 このエステルの返事は、決して自分勝手なものではありませんでした。王の力は絶大であり、その意思は絶対であり、それに反することは王が特に愛する王妃であっても不可能であったのです。それを聞いたモルデカイは「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかするとこの時のためであるかも知れない。」(4章13節~14節)とエステルに事態を深く受けとめ、行動するように促しているのです。


②そのモルデカイの返事にエステルは、深く心が動かされ、決断し、法令に背いて王の所へ行ったのです。大袈裟ではなく、死を賭しての行動でした。その死を覚悟しての行動が受け入れられ、王に話す機会が与えられ、遂にユダヤ人根絶やし計画が直前に回避されたのです。(7章) 

  エステルは、なぜ、とても出来ないと言っていたことから「たとえ、法令に背いてでも、私は王のところに参ります。私は死ななければならないのでしたら、私は死にます。」(4章16節)と言うように変えられたのでしょうか。これは今、神、多くの人々から自分たちと違う特別の存在として見られている日本社会にいるキリスト者にとって大切と考えます。

 エステルの決断した理由は、13節、14節のモルデカイの言葉にあります。二つの理由をあげることができます。一つは目をそらさないで事実を見、考え、今の状況の深刻さを考えよということです。すべての州のすべての同胞が、若い者も、年寄りも、赤ん坊も子供も、女も殺されるのだ、たとえ、あなたは王妃だからということで助かったとしても、この王の命令が実行されるならばどんなに悲惨なことであるか、事実を直視せよ、又あなたについてもいずれ責められるだろう。この命令が実行される残酷さ、悲惨さ、絶望的な状況を深く思って欲しいというのです。エステルは、その言葉を受け、状況を直視したのです。主にあって歩むときに本当にその人に力を与えるのは興奮や勢いではありません。落ち着いて、事実を冷静に見、想像することです。人を恐れて世に流されることがどんな結果を招くのか、深く思うことです。

 そして、エステルが勇気を持って立ち上がったもう一つの理由は、今に至るまでの、これまでの神の導きを確信したことです。「あなたがこの王国に来たのは、もしかするとこの時のためであるかも知れない。」というモルデカイの言葉によって、自分がこの時、この危機のために召されていることが分かったのです。これは、一人よがりの思いではありません。なぜ、自分が今、ここにいるのか静かに考え、主の器として今、ここに置かれているという確信を持ったのです。


◆(訴え)少数派であることを恐れずに

 我が国においては、クリスチャンは少数派です。しかし、人生の真理はそういった多数派か少数派かによって決まるのではありません。ですから、自分が多数派か少数派ということが大切ではありません。大切なのは生涯の中心に何があるかです。

 エステルの勇気は同胞を危機から救い、人生を悔いのないものとしました。後に日本基督教団の統理となった富田満は1939年、日本支配下にあった韓国に渡り、韓国長老教会の総会において、神社参拝は偶像礼拝ではなく、国民としての習俗・儀礼であるから参拝するように促しました。   それに対して自分たちは主の民として決して従うことができないと抵抗し、殉教した牧師、信徒が多くいました。有名な朱基徹(チュ・ギチュル) 牧師もその内の一人です。人間的には無残な死です。しかし、その人々の姿勢は韓国教会の尊い礎となり、韓国社会に対して力強い証しを残しました。大きな深い恵みを知っているのに沈黙していることはありませんか。事実を冷静に見て、そこに遣わされている自覚を持ちましょう。私たちは、それぞれの場に遣わされている主の器です。主の民であることを忘れてはなりません。私たちの姿勢は自分自身と周りの人々を救うのです。