不安の中にある希望

聖書個所 IIテモテ46~8節   説教者 川口 昌英 牧師

中心聖句 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審 判者である主が、それを私に授けてくださるのです。 第二テモテ48a


説教の構成

◆()ホスピスからの証言

 大阪の淀川キリスト教病院で、日本で初めて本格的にホスピス(現代の医療では不治とされた人 に対し、つらい検査や治療を繰り返す医療ではなく、痛みをコントロールし、また精神的、霊的 ケアを行い、その人らしい最後を迎えることに中心を置く終末医療施設)の働きを開始し、約2500 人の死を看取って来た柏木哲夫先生が、(現在は愛知県にありますミッションスクールの大学学長 をされていますが) その時の経験について、人の死について「つくづく、人は立場や経歴でなく、 生きて来たように死ぬということを思う」と言っています。 ホスピスの入院期間は平均一ヶ月ということですが、その中で話を聞いて行くと、それまでの 生涯において、つらい状況を経験しても、懸命にそれらと取り組み、歩んで来た人は、目前に迫 る死についても当然、不安や恐れを感じるのですが、やがて受けとめていくのに対し、社会的立 場や経歴がすばらしくても、人を見下したり、人を非難し、いつも不平や不満を持って生きて来 た人は、死に対しても非常に強い拒絶の思いを持ち、大きな恐れを持つとのことです。 この貴重な報告から知ることが出来るのは、死という人生最後のそして最も大きな問題にとっ て一番大切なのは、地位や財産や栄誉や家族や親しい人がいるかということではなく、自分の人 生を受け入れているかどうかということです。私は、この証言はそれぞれの人生を考えるうえに おいて、非常に貴重だと考えます。真の充実した人生は、いわゆる、外面的な成功のうちにある のではなく、自分しか分からない、さまざまなことを経験してきたけれども自分なりに精一杯生 きて来たという自分の人生を受け入れていることにあると明らかにしているからです。 そのような実際の例を考えていた時に、よくお話する水野源三さんの一つの詩を思い起こしま した。小学校四年生の時に病気による高熱のために、突然、手足の自由を奪われ、話すことも出 来なくなり、隠されるようにして長い間、家にずっといましたが、後に大人になっていた時にそ のことを聞いて訪ねて来た一人の牧師に導かれ、主の福音を知り、信じたのです。水野さんは感 性と表現力豊かな方でしたので家族が持つ五十音の表によって自分が使いたい文字が来た時に瞬 きをして多くの詩、短歌、文章を残しました。その中にこういう詩があります。「大きな神の御 手の中でかたつむりはかたつむりらしく歩み あまがえるはあまがえるらしく鳴く 大きな神の 御手の中で 私は私らしく生きる。」 大変な生涯でしたが、自分の人生を本当に受け入れておら れたのです。 

◆(本論)どうしたら、自分の人生を受け入れることができるのか。

 しかし、問題は自分の人生を受け入れることが容易ではないことです。むしろ、多くの人は、

非常な難しさを感じています。私は私で良い、私の人生はこれで良かったと言うことができない のです。なぜなら、まず自分は何のために生きてきたのか、確信を持つことができないからで す。それは傍目から充実した人生を送って来たように見える人にもあります。 振り返って自分の 人生はこれでよかったのだと言うことができず、むしろ、深い虚しさを感じているのです。 生涯の終わりにおいて、自分の人生を受け入れることができないもう一つの理由は、今話した 人生全体に関することの他に、赦されていない、具体的な行ないとしての罪があるからです。人 を傷つけたり、傷つけられたこと、又行って来た悪事などの記憶が鮮明にあるのです。これらの 具体的罪が自分の内側にはっきりありますから、人生の結末を迎えようとする時でも、自分の人 生はこれで良かったのだ、私は精一杯生きたと言うことが出来ないのです。

 さて、本日の聖書の個所で使徒パウロは、獄中において、処刑の時期、死が迫っていることを 予感しながら、平安と希望を告白しています。新約聖書に収められているパウロの13通の書簡の 中で最も遅く、処刑される一年ほど前に書かれた第二テモテが書かれた状況についてはよく話し ていますが、ローマにおける二回目の投獄の時でした。上訴し、遠くユダヤのカイザリヤから移 送され、ローマで最初に投獄された時には、クリスチャンを取り巻く情勢はまだ切迫していませ んでした。事実、この時書かれた書簡(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)では釈放についてふ れており、実際その通りになっています。しかし、それも束の間、情勢は急変したのです。時の 皇帝、ネロが自分の治政に対するローマ市民の怒りを当時、まだよく知られず、多くの人々から 不安視されていたキリスト教徒に向けさせ、厳しく迫害したのです。パウロは教会を代表する伝 道者でしたから、再びすぐ捕らえられ、今度は助かる見込みはほとんどなかったのです。 けれども、そんな人間的には望みが少しもないような中で、本日の個所のようにパウロは弟子 テモテに対して、平安と希望を告白しています。始めに話したホスピスでの多くの人々の最後に 関連して言うならば、パウロは足に重い鎖をつけられ、兵の監視のもとに置かれた苦しみにあ り、死を目前にしていたのですが、自分の人生を受け入れていたのです。その理由として二つの ことを言っています。

 一つは7節、自分は(罪や罪の中に生きるように誘う者と) 勇敢に戦い、(異邦人宣教という自分 に特別に与えられた)走るべき道のりを走り終え、(主キリストに従う) 信仰を守り通しましたと言 います。主を信じてからのことを振り返って、私はそれまでの主を知らない頃の生き方から生ま れ変わって生きてきた。主によるすばらしい恵みを知って「生きるにも、死ぬにも、私の身によ って、キリストがあがめられる」(ピリピ120)ことを願って、ことに異邦人に福音を伝えると いう主から与えられた使命のために生きてくることができたと語っているのです。これは言うま でもなく、自分は完全だったと誇っているのではありません。使徒の働きや書簡から分かるよう につらく苦しいことも多くあったが、私は主に守られて、主にあって生涯を送ることができた、 特に主の働きに加わることが出来たという、人生を変えてくださった主への感謝です。 二つ目の理由は、8節です。死後の希望です。死とは何なのか、死後裁きがあるのかと多くの人 が恐怖や不安を持っているのに対し、パウロは全く新しい死について言っています。かの日、こ の地上の命を終えて神の前に立つ時、用意されている義の栄冠が授けられると言うのです。義の 栄冠とは神がその人を愛する子として認め、迎え入れてくださる印です。それは足りなさを指摘 する冷たい審判ではありません。私たちはそんな死についての世の常識が覆される例、主と出会 い、救われた多くの人を知っています。ザアカイ、サマリヤの婦人、マグダラのマリヤ、町で一 人の罪人と言われたルカ7章に出てくる女性、究極は主と共に十字架につけられ、死ぬ寸前に悔い 改めた強盗です。(ルカ2342~43)この人々は救われる以前は、とても義の栄冠など与えられ るとは思えなかった人々です。しかし、大変な人生の中、主とお会いし、救われてからは愛する 者とされ、死の時にも愛する子として迎えられているのです。パウロも、自分自身が神に受け入 れられたことによって、教会を破壊し、クリスチャンを激しく痛め、命を奪った自分の生涯を受 け入れることができ、死についても全て安心して委ねることができると言っているのです。


◆(終わりに)

 柏木先生の証言は、人生において本当に大切なのは自分の人生を受け入れていること だと示しています。けれどもそうできない二つの理由があることを見ました。どうしたら良いの か。死を目前にしているパウロが証言しているように、悔い改め、いのちを与え、愛してくださ る神のもとに帰って生きることです。都合のよい解釈ではありません。誰でも死を意識する時、 不安になります。しかし、私たちには希望があります。悔い改めた放蕩息子が迎えられたよう に、主イエスの福音のゆえに義の栄冠が授けられるのです。それゆえ、与えられている生涯を大 切にし、毎日精一杯、神の民として生きようではありませんか。生も死も主に委ねましょう。