最も大切なこと

❖聖書個所 箴言1章1節~19節        ❖説教者 川口 昌英 牧師

❖中心聖句 主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(箴言1章7節)


❖説教の構成

◆(序)箴言について

 本日は先ほどの個所を中心にして、箴言全体から神を恐れる生き方について共に教えられたいと願っています。始めに、箴言はよく知られているように人生の真理について真剣に求めた求道者、中でも大半を記したイスラエル第3代目の王ソロモンが神の霊に導かれて、真理を求めていく中で深く教えられたことを後に続く者たちのために書き残したものです。そのような性質の書ですから、人が経験するあらゆる事柄についてふれています。そうして、最終結論として知恵のある生き方、神を信じない愚か者のようではなく、神を恐れる知恵のある生き方をしなさいと言うのです。


◆(本論)箴言全体を貫いていること

 ①さて、31章ある箴言の中でソロモンによるものが29章、他の著者によるものが2章ありますが、全体を通じて一貫して強く言われていることがあります。生きるうえにおいて「主を恐れること」の大切さです。全部で16回言われています。次のように言われています。

・主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ」(1章7節)

・もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは主を恐れることを悟り、神の知識を見出そう。 (2章3節~5節)

・自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。(3章7節)

・主を恐れることは悪を憎むことである。(8章13節)

・主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(9章10節)

・主を恐れることは日をふやし、悪者の年は縮められる。(10章27節)

・まっすぐに歩む者は、主を恐れ、曲がって歩む者は、主をさげすむ。(14章2節)

・力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。(14章26節)

・主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。(14章27節)

・わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。 (15章16節)

・主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。(15章33節)

・恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(16章6節)

・主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。(19章23節)

・謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。(22章4節)

・幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。しかし、心をかたくなにする人はわざわいに陥る。 (28章14節)

・麗しさは偽り、美しさもむなしい。しかし主を恐れる女はほめたたえられる。(31章30節)

②これらの個所で繰り返して言っていることから分かるように、箴言の著者は「主を恐れること」は、人生において最も大切であり、また豊かな祝福をもたらすと言うのです。すべてを造られ、すべてを治めておられる創造主、まことの神を人生において第一として生きる者は、長く、またまっすぐに生き、心の中にいのちの泉を持つようになり、悪から離れ、いのち、真の生きる喜びを持ち、栄誉、富を受け、幸いな人生になると言うのです。

 こうして見ると、真理を求めて苦闘したことにより、著者がいかに「主を恐れること」の大切さに気づいたのかがよく分かります。同じソロモンによる、真理を求めた求道の書、伝道者の書の中でも似たようなことを言っています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、善であれ、悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」(伝道の書12章13節~14節)

 なぜ著者は主を恐れることを繰り返して言うのでしょうか。反対の生き方、何をしても神は見ていない、咎められることはない、自分の思う通り、社会の流れのままに生きても何の問題もないと言いながら、不安や恐れを抱き、失望して、滅び、人生を無にしている人が大勢いたからです。そのような風潮に対して、著者は後に続く愛する者たちに、あなたがたは神の民として、それらに流されないで真に主を恐れて第一として生きよと諭すのです。

③どうして、人は主を恐れることが求められるのでしょうか。本来は神によって神のかたちを持つものとして造られているからに他ならないのですが、20世紀アメリカを代表したビリーグラハムという伝道者は次のように言います。

 「人生において大切なことでありながら自分が関わりを持てないものが三つある。一つは自分が今、こうしてあることである。誰一人としていつ、どこで、どのような家庭で、どのような人々を両親として生まれるか、時代、民族、皮膚の色、環境、賜物、何一つ選んでいない、今こうしてあることが自然になっているから自分で選んだような思いになっているが、実はすべて御心によって備えられたのである。第二は、死である。生まれたことに対して自分自身で何も選んでいないように、死に対しても何もできない。医学が進み、少し前だったら死に至る病気だったものが癒されるようになっているが、やがて時が来るとすべての人が確実に死ぬ。三つ目は、死後の裁きである。みことばに、死後、私たちはみな、キリストの裁きの座に現れて、善であれ、悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて裁かれるとある。(ⅡⅡコリント5章10節) その裁きに対して私たちは何もなし得ない。」

 このように、人が生きること、また永遠を真剣に考えるなら、いのちを与え、導いておられる方を恐れる、愛し、従う、第一とすること、一人ひとりを深く愛してくださっている方の御手の中で生きることが大切なのです。それゆえ、箴言の著者は繰り返し、主を恐れる、第一とすること、愛し、従うことが大切であるというのです。


◆(終わりに)主を恐れる人生を

 主イエスの譬えに富める農夫の物語があります。(ルカ12章16節~21節)豊作になり、豊かになり、自分の人生は安心だ、さあ食べて飲んで楽しもうと思った人です。しかし、神は、そのような人は、人の前に富んだが神の前に富まない愚か者であると言います。なぜなら、一番大切なこと、いのちを与え、生きる意義と目的を与えておられる神を恐れていない、第一にしていない、また感謝もしない、さらに、いのちは自分のものだと思っているからです。ただ、誤解のないように言いますと、神を恐れることはロボットのようになることではありません。主体性を持って神を第一とする生き方をすることです。

 神を恐れて生きる者には神にある香りがあります。神の平安、希望、あたたかさがあります。人を差別しない、またどんな時にも失望しない、そして神を待ち望んでいる姿勢です。

 あなたは本当に神を恐れていますか、生かされている者であることを知っていますか、あなたに目的と使命を与えている方がいることを知っていますか。あなたの生涯を裁く権威を持っておられる方がいることを知っていますか。神を恐れる生涯には天よりの祝福があります。

 恐れなくてはならないものを誤ってはなりません。多くの人は神ではなく、自分、人、社会を恐れています。しかし、人生を真に祝福するのは神を恐れることです。ヘブル人への手紙12章1節をお読みします。(朗読) 神を恐れ、そして真に祝福された人々が多くいるのです。私たちもその人々に倣ってそれぞれの歩みをすることが求められています。主を恐れて生涯を歩みましょう。