『主が愛されたように』

140330 礼拝説教

■聖書:ヨハネの福音書13:34  ■説教者:山口 契 伝道師

■中心聖句:あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 

1.はじめに 

 キリスト教は「愛の宗教である」と言われていることをご存じでしょうか。また、教会では多く「愛」について語られます。しかし、その「愛」というものを私たちはどのように捉えているでしょうか。本日の箇所から、イエス様が示された愛とはどのようなものだったのか。その温かさと、現実をがらりと変えるほどの力強さを覚えたいと願っています。

2.主が愛されたように 〜最後の晩餐の席で〜 

 本日の箇所、中心は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」というイエス様のことばにあります。そしてその「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めの源にあるのは、「わたしがあなたがたを愛したように」、すなわち、イエス様が何よりも先にまず愛を注いでくださった、与えてくださっているのだという事実があります。イエス様の愛がまずあり、私たちに与えられたその愛の源から、さらに隣人への愛が溢れ出るのです。自分たちが「愛そう」と思って、愛し始めるのではない。「愛しなさい」と言われて愛し始めるのではない。涸れることのない愛の源泉が与えられ、その泉をあふれさせよ、流れさせよと言われているのです。

 

 しかし、この愛の源、「わたしがあなたがたを愛したように」と言われるイエスの愛とは、どのようなものだったのでしょうか。二つの視点からみてみましょう。ひとつは、イエス様がこの言葉を語られた背景、もうひとつは、そのイエスの愛によって変えられたひとりの人を見ていく視点であります。この二つの視点から、本日の箇所で語られています「あなたがた」への愛、そして「私たちにも」注がれる愛について教えられていきましょう。そのときに、この愛というものが概念的、思想的なもので終わるのではなく、確かな温度と強さをもった、現実の力であるということを注意したいと思います。単に気持ちを和らげ心を安心させるだけに留まらない、私たちを変え、私たちの現実を変えるものです。悲しみの中にあっても悲しみのままでは終わらせずに喜びを与え、絶望の暗闇の中でも希望の光を強く明るく輝かせるほどの力をもつもの、それがこの「愛」であるのです。私たちに与えられている愛の力強さ、その愛のリアリティを、今朝もう一度覚えたいのです。

 

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」私たちに注がれているイエス様の愛を知るために、このイエス様の言葉の背景をまず確認したいと思います。これが語られたのは、イエス様が十字架にかかられる前夜、弟子たちとともに食事をされた「最後の晩餐」の時でした。イエス様は十字架を見ていました。食卓を囲む弟子たちは気づいていません。そのような中、晩餐は始まります。この様子は13章の1節から書かれています。さて、過越しの祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。晩餐はこのイエス様の愛が豊かに表わされたものであったことが記されています。そして2節の冒頭、「夕食の間のことであった」として、この晩餐の様子が描かれていくのでありました。注意しておきたいのはこの晩餐において、イエスは「自分の時が来たことを知られ」、それゆえに「その愛を残るところなく示された」ということです。「自分の時」とはイエス様の十字架であります。その時、「愛を残るところなく示された」。その具体的な愛の現れはイエス様自らが「弟子たちの足を洗われる」というものから始まるのでした。13:4-5夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、拭き始められた。よくご存知の方も多いと思いますが、乾燥地帯であるイスラエルをサンダルで歩き回っていた当時の人々の足は埃や泥にまみれ汚れていました。その汚れを拭うのは身分の低い奴隷の働きだったのです。しかもユダヤ人の奴隷にはこれをさせず、さらに最下層に位置していた外国人奴隷がするという、極めて卑しいとされる仕事だったようです。ここに示されているのは、徹底的に仕える者となられたイエス様の姿でした。両の膝を土につけ、両の手を持って汚れを丹念に落としていかれるしもべの姿なのです。神であるお方、ことばなるお方、闇が決して打ち勝つことのない光なるお方が、人となって世に来られ、私たちの間に住まわれた。ヨハネの福音書の冒頭は、それがどれほど驚くべきことであるのかを巧みな表現で言い表していました。これだけでも十分驚くべきことであるのに、さらに神であるお方は、仕える者の姿をとられた。パウロは言い表します。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。」その仕える者の姿は、弟子たちの足を洗うに終わらないのです。パウロは続けます。「人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」仕えるということ、イエスがその愛を残るところなく示されたといわれるところの、その愛。多くの人が我先に我先にと人を蹴散らし人の上に立つことを喜びとする中にあって、イエスは誰よりも低いところへ、暗いところへ、来られたのです。

 

 今日は賛美伝道礼拝。新聖歌にも載っています、ひとつの賛美を紹介しましょう。新聖歌483番の「両手いっぱいの愛」という賛美です。教会学校で歌ったことがある方もいらっしゃるでしょうか。私自身小さな頃から歌っていた歌ですが、改めていま歌詞を見て歌っていますと、本当にその通りだなと深くうなずいてしまう賛美であります。一番二番はこのような歌詞です。(朗読)まるで小さい子供がお父さんお母さんに無邪気に問いかけるように、子供はその手をいっぱいに広げて尋ねています。僕のこと、どれだけすきなの?それに対してイエス様は黙って微笑むだけ、優しく微笑むだけでした。子供が自分に注がれている愛をその小さな手で示しているのを、温かいまなざしで見つめておられるのでしょう。しかし、はぐらかしたりなどせずに、その子供に注がれている愛がどれほど大きなものであるのかを、最もよく伝える方法で応えてくださいます。三番。その手のひら、貫かれた釘の跡を見せられるのでした。私たちが、これくらい愛されているだろうか、これくらいだろうかと思っているイエスの愛ですが、その手の傷、すなわち十字架で最大限の愛を示されたのでした。それは自業自得の十字架ではなく、私たちのための十字架であります。同じ晩餐の席で、「人がその友のためにいのちを捨てると言う、これよりも大きな愛は誰ももっていません」という言葉を残されていますが、まさに、私たちひとりひとりを友と呼び、友である私たちのために命を捨てられた。それこそが、イエス様が残るところなく示された愛なのです。

 

 弟子たちの足をしもべのように洗い、人に仕え、なによりも「十字架の死にまでも従われる」。ここに、イエスが示された愛があるのでした。残るところなく、最後まで示される愛は、この十字架に向かっていくのです。これが本日の箇所の背景にあるもの、「わたしが愛したように」といわれるところの、イエス様の愛なのでした。

 

3.変えられたヨハネ 

 では、そのイエスの愛、「わたしがあなたがたを愛したように」と言われるその愛は、どれほどの力強いものなのでしょうか。この晩餐の席につき、残るところなく示されたイエスの愛を最も近くで聞き、注がれた人物について見ていきたいと思います。それは他でもありません、この福音書の著者であり、十二弟子のひとりであるヨハネという人です。彼はこの福音書の中で、自分自身を「イエスが愛しておられた者」と呼んでいます。そんな彼は、最後の晩餐のとき、イエスのすぐ横にすわっていたと書かれています。13:23弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。すなわち、繰返しにはなりますが、ヨハネはイエスが残るところなく最後まで示されたその愛を最も近くで感じていた人物であったのでした。事実、彼の書いた福音書、手紙、黙示録には「愛」という言葉が何度も登場し、多くの手紙が残るパウロよりもはるかにこの愛について書いているのです。

 

 しかしかつてのヨハネはというと、「人に仕え、十字架の死にまでも従われるほどの愛」という言葉に相応しくない人物であったようです。彼にはひとつのあだ名がありました。ボアネルゲという名がつけられていたとマルコの福音書に書かれています。ボアネルゲ、訳すならば「雷の子」と呼ばれていた。激情家、怒りっぽい人物であったようです。自分の考えが強く、自分は正しいと思っていた人物です。今の時代にも多くの人がそうであり、ある意味では、いやそうでなければ勝ち残れないとされます。人を蹴落として、先に行く。一番上を目指していく生き方であります。そんな雷の子、ヨハネの言動が他の福音書にいくつかみられます。それらは、「雷の子」のあだ名が付けられていることを納得させます。ルカの福音書ではある事件が記されています。イエスと弟子たちが旅の途中で立ち寄った町において、その町の人々はイエスを受け入れませんでした。それについて怒りくるったヨハネはいいます。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」当のイエスはこれを戒められ、ある写本では「人の子が来たのは、人のいのちを滅ぼすためではなく、それを救うためです」と言われていますが、そのような考えはヨハネにはなかったようです。さらにマタイの福音書では、ヨハネの母がイエスに対してひとつのお願いをしています。「私のこの二人の息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわるようにお言葉を下さい。」つまり、他の弟子たちよりもいい身分を下さい、偉くしてくださいというのでした。それに対してイエスは、「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者はあなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、(人のことはイエス様自身のことです)、人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」と言われる。イエスがその旅で何度も教えてきた愛の教え、人に仕えると言う生き方は、ヨハネの姿とは異なっていたようです。いや、ヨハネだけでなく、多くの人がそうでしょう。滅ぼしましょうか、とまでは行かないとしても、人の成功について素直に喜べない心がある。人と比べて優越感や劣等感にゆさぶられる。ましてや、自分の命を捨てるほどに、誰かのために生きる。それが果たして出来るでしょうか。ある説教者はいいます。「自己犠牲の愛は、生まれながら人がいくらまねをしようとしてもできるものではありません。必ず行き詰まってしまいます。それは、キリストの十字架上の死によって示された神の愛をいただいた者にだけ出来る愛です」本当にその通りだと思います。自分から、どうひっくり返ってもこの愛は出て来ない。ただ、「わたしがあなたがたを愛したように」と言われる「主の愛」という大前提、愛の源が与えられてはじめて、私たちは愛し合うことが出来るのです。

 

 かつて雷の子と呼ばれたヨハネは、最後の晩餐の席でイエスの右側に座ります。新改訳聖書をお持ちの方はヨハネの福音書13:23をご覧ください。「右側に」というところには印が付けられ、下の脚注には、直訳で「御胸のそばでからだを横にしていた」と書かれています。「御胸のそばで」さらにギリシャ語本文で見てみますと、ふところで、と訳すことが出来る言葉です。すなわちヨハネはイエスの愛をそのふところのぬくもりとともに感じていた。まるで幼子がお母さんのあたたかいふところで安心してすやすやと眠るように、ヨハネの心は穏やかだったのではないでしょうか。ヨハネにとってイエスの愛は、そのふところのぬくもりであったということが出来るでしょう。雷の子は、主の愛に包まれていたのです。実際にそうしていたのか、それとも、イエスの愛に包まれていたことをそのように表現していたのかは分かりません。しかし、先ほども申し上げましたが、ヨハネは自分自身を「主に愛された弟子」と何度も呼んでいますから、自分に注がれた愛を深く感じていたことは間違いないのです。愛されていると知った者、イエスの愛が注がれたヨハネは、もうかつての「雷の子」ではなく、「主に愛された弟子」として、さらにその愛を伝える者、愛の証言者へと変えられたのでした。

 

4.おわりに 

 同じ愛が私たちにも注がれていることを聖書は教えています。驚くばかりの恵み、その愛を知った私たちは、先ほどの「両手いっぱいの愛」という賛美にもあったように、「ごめんね、ありがとうイエス様」と、素直な気持ちでその愛を受け止めたいと思いますし、ぜひそうしていただきたいと願います。私の罪のために十字架にかかられたイエス様にごめんなさいと悔い改め、私を助けるために注がれるそのイエス様の愛をありがとうございますと受け止める。これがイエス様を信じるということです。無条件の愛です。良い子だからとか、良いことをしたからとかではなく、雷の子であるヨハネにさえも注がれる神の愛でした。それはひとりの人をがらりと変えるほどの大きな力をもっている愛であります。ヨハネという人は、与えられた愛を多くの人に伝えるために働くようになります。そしてその働きのゆえに捕まり、島流しという刑罰を受けるのでした。ヨハネが受けた愛を全ての人が知らなければならない。そのために、まさに人に仕え、死にまでも従われたイエスのあとを、イエスに倣って歩んでいったのです。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。イエスの愛がまず注がれ、その愛によって変えられた私たちは、愛に生きるようにされている。信じていながらも、アイすることの出来ない自分の姿を見て苦しくて悲しくなることがあります。しかし主の愛は確かに私たちのうちに注がれ、泉となって今もなおあふれ続けているのです。それを私たちの思いによって弱さによって妨げられることがないように、祈りをもって、主の愛の証言者とされていきましょう。お祈りします